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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
天文10年(1541年)11月…
吉田郡山城(よしだこおりやまじょう)の城内では次郎(じろう、後の元春)が弓矢の稽古をしていた。
バシッ!!
次郎は尼子(あまこ)攻めが近づいていることを聞き、武芸を磨いていたのだ。
家臣の福原元正(ふくはらもとまさ)も稽古に付き合っていた。
元正「次郎様、日々、腕が上がってますな。」
次郎「なんの、尼子攻めで成果を見せねば。ところで父上と母上に会いに来たのはどなたなのだ?」
元正「客人は…吉川興経(きっかわおきつね)殿のようです。」
次郎「吉川、さきの郡山城籠城戦では尼子方だったな…」
元正「大内(おおうち)方に付いたようですよ。尼子方から大内方に鞍替えする国人衆が多くなってます。」
城内の居間では興経は毛利元就(もうりもとなり)と美し(よし)に会っていた。
美しは吉川家の出身で興経には叔母にあたるのだ。
興経「元就殿、わしはもう尼子を見限りました。」
元就「ほぉ、先の郡山籠城戦では尼子方であったのにか?」
興経「そのことは…申し訳ござりませぬ。我が領地は尼子方に近く…致し方なかったのです。」
美し「興経、大内方に付いたのですか?」
興経「はい、既に書状にて大内様から赦しを頂きました。此度の尼子攻めは吉川が先陣を張っていきますぞ。」
元就「…その言葉、戦にて見せて頂きますぞ。」
元就は興経に不信感を抱いていた。
その夜、元就は隆元(たかもと)と家臣の志道広良(しじひろよし)が話し合っていた。
広良「大内様の策はどのようなものですかな?」
隆元「尼子が弱っている今、一気に攻めるのではないだろうか?」
元就「…大内様からは隆元を出陣させるようにと言ってきた。」
隆元「おぉ、これは毛利の武者として力を見せねばなりませぬ。」
元就「うむ、わしは隆元も行かしたくはないのだが…大内様の命ならば致し方あるまい。」
広良「殿、何やら気になるのですな?」
元就「広良、そなたは郡山城に残ってくれ。」
広良「はい、そういえば次郎様は出陣すると武芸の稽古に汗をかいてますが…」
元就「此度は次郎は連れていかぬ。次郎は広良と一緒に郡山城を守るのだ。」
次郎は尼子攻めに加えてもらえぬことを聞いて、荒れた。
次郎「兄上!なぜ、わしは尼子攻めに行ってはならぬのですか!?」
隆元「父上が決めたことなのだ。次郎は郡山城の守備を頼む!」
次郎「守備!?わしも行きとうごさります。」
隆元「次郎、この城を守ることも重要な役目なのだぞ。万一のことがあれば、この城にまた籠城することもあろう。その時のために、そなたの力が必要なのだぞ。」
次郎「…はい。」
次郎は不満であった。
尼子の月山富田城(がっさんとだじょう)では、尼子を繁栄させた尼子経久(あまこつねひさ)が亡くなった。享年84であった。
翌年、天文11年(1542年)1月11日、
大内軍15,000がついに山口を出発したのだ…。
つづく…
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