猛将親父 〜第8話 次郎初陣〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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目次





天下を競望せず…

わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。




天文9年(1540年)12月…


ついに毛利元就(もうりもとなり)が頼りにしていた大内氏(おおうちし)の援軍が吉田郡山城の東側にある山田中山に到着、その兵数10,000であった。


大内軍を指揮するのは大内氏の重臣、陶隆房(すえたかふさ)である。

陶隆房(後の陶晴賢)


コアラ陶は大内氏の譜代の家臣なんだよ


これを見た元就は大内とともに尼子(あまこ)軍に総攻撃をかけるべく準備を始めたのだ。




元就は陶に尼子本隊を牽制してほしいと伝え、宮崎長尾に陣取る尼子方を攻める策を軍議で家臣に伝えた。


その軍議で、


「父上!」

軍議の席に現れてたのは、次郎(じろう、後の吉川元春)であった。その姿は鎧を着けていたのだ。




次郎「父上!我は生きるために戦います!初陣、お許しを!」

元就「…この上は致し方ない。次郎!出陣するからには恥ずかしい戦をするでないぞ!初陣許す!」

次郎「はい!」




我が父、次郎は11歳で初陣を果たすことになったのだ。




年が明け、天文10年(1541年)1月、元就の策通り毛利軍と大内軍は尼子軍に総攻撃をかけた。




宮崎長尾に陣どる尼子軍を攻めた毛利軍3,000騎に次郎の姿もあった。


次郎「かかれ!」



次郎は何人もの敵兵を討ち取ったのだ。


これを後に知った元就は、

元就「わしは戦では次郎には敵わない。」

と言ったそうだ。


コアラ戦の才能があったんだね





一方、大内の援軍で武が悪くなった尼子の総大将、尼子詮久(あまこあきひさ)は大叔父である尼子久幸(あまこひさゆき)に撤退を進言されていた。


久幸「殿!このままでは、尼子は大損害…いや命も危うくなります。」

詮久「…30,000もの兵がありながら、なぜ…」

久幸「雪か降れば兵糧の補給路を失います。そうなれば全滅…ここは忍んで撤退を!!」

詮久「…」

久幸「ここはわしが…臆病野州の最期を見よ!!」



久幸は手勢500を率い大内軍と激怒したのだ。しかし、矢に討たれ討死したのだ。


コアラ久幸さんはこの戦を反対して詮久さんから臆病野州って馬鹿にされていたんだ





久幸の討死を知った詮久は全軍撤退を命じたのだ…。






つづく…




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