前回まではこちら⬇️
天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
「此度の戦、わしの初陣にいたす!」
次郎(じろう)は吉田郡山城で評定で言い切ったのだ。
次郎の父、毛利元就(もうりもとなり)は驚いた。
元就「次郎!そなたは、11歳。まだ早い!」
次郎「兄、隆元(たかもと)は大内(おおうち)に行き、姉、しんは宍戸隆家(ししどたかいえ)殿に嫁ぎ、皆、毛利家のお役に立っています。次郎も毛利の男子!戦で力を見せとうごいます。」
元就「戦は雪合戦ではない!命をかけて戦うのだぞ!」
次郎「わかっておりまする。次郎は命ををかけて戦う所存。」
元就「ならん!この席から外せ!」
次郎は顔を赤くして、評定の場から出ていった。
次郎「くそっ!」
怒っている次郎に1人の家臣が声をかけた。それは福原元正(ふくはらもとまさ)であった。
元正「次郎様、そんなに顔を赤らめて…」
次郎「父上がわしを戦に出してくれぬのだ!」
元正「尼子との戦は毛利家の一大事。御館様(元就のこと)は今はどのように戦うべきか、悩んでおられるのでしょう。」
次郎「だからこそ、父上の負担を少しでも背負いたいのだ。」
元正「今は様子を見ましょう。戦になれば出陣の機会はありまする。」
次郎「…そうか、元正の言うとおりにしよう。」
天文9年(1540年)6月下旬、ついに尼子(あまこ)が動き始めたのだ。
まずは尼子久幸(あまこひさゆき)、新宮党(しんぐうとう)の尼子国久(あまこくにひさ)ら3,000騎が備後路から安芸国吉田に侵入しようと進軍してきたのだ。
尼子の狙いは備後路を進み、毛利の縁続きの宍戸家の五龍城(ごりゅうじょう)を落とし、吉田郡山城の背後をつくことであった。
五龍城跡
元就「宍戸殿、頼むぞ。」
元就が頼りにする宍戸元源(ししどもとよし)と隆家は決心の防衛をし、尼子は江の川を渡ることすらできず、撤退したのである。
尼子の当主、尼子詮久(あまこあきひさ)は怒り心頭であった。
詮久「おのれ!こうなれば石見路から全軍で攻めてやるわ!」
8月、詮久は30,000を率いて月山富田城(がっさんとだしょう)を出陣したのだ…
つづく…
にほんブログ村



