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天下を競望せず…
わしは吉川元春(きっかわもとはる)の三男、広家(ひろいえ)です。
天文8年(1539年)…
「毛利(もうり)を攻める!」
出雲国の月山富田城(がっさんとだじょう)の評定の場で声が響いた。
声の主は尼子(あまこ)の当主、尼子詮久(あまこあきひさ)である。
詮久「毛利元就(もうりもとなり)は、わしと義兄弟の契りを交わしたにも関わらず、大内(おおうち)に息子を人質に出すとは、尼子を蔑ろにしておる!」
詮久は25歳と若く血気盛んであった。評定の場には先代であり詮久の大叔父・久幸(ひさゆき)、詮久の叔父・国久(くにひさ)らがいた。
久幸「毛利を攻めるには、備後、石見を通らねばなりませぬ。未だ備後、石見の両国を征しておらず深く入り込むには危険ですぞ。」
国久「久幸様、お言葉ですが、尼子には我が新宮党がおりまする。歯向かうものなど蹴散らしてみせまする。」
久幸「敵を侮ってはならぬ!備後、石見の国人衆から人質を取ってから実行すべきです!」
詮久は声を荒げた。
詮久「この臆病野州(おくびょうやしゅう)!毛利ごときにやられる詮久と思っているのか!?」
久幸「先代、経久(つねひさ)様も慎重にせねばと申しておりまする…。」
詮久「尼子の当主は詮久である!毛利攻めは決定だ!」
久幸はもう何も言えなかった。尼子は毛利攻めの準備に入ったのだ。
尼子の毛利攻めの噂は元就にも聞こえることになった。
元就は忍びを放っていたのである。毛利の忍びは世鬼(せき)一族であり、その頭は世鬼政時(せきまさとき)だ。
元就「ついに尼子がくるか…どの道がくるか?」
政時「備後路か石見路…2つの道から来られるでしょう。」
元就「宍戸(ししど)殿にも報せておくのだ。」
政時「はい!では…」
元就は既に尼子が攻めてくるのは、わかっていたようだった。
元就は毛利家中のものを集め評定を開いた。
その評定で次郎(じろう、後の吉川元春)は家中が驚くことを言い放った。
「この戦、わしの初陣に致します!」
つづく…
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