1990年代、全日本プロレスは天龍源一郎離脱後、他団体との交流はせず、鎖国と言われた独立姿勢を保ちました。
自分はこの時期は日本武道館で行われた全日本プロレスの興行はよく見に行っていました。
全日本プロレスはジャンボ鶴田が病でセミリタイヤ後、三沢光晴を中心とした四天王プロレスが確立していました。
そんな全日本プロレスが他団体との興行で姿を見せたのが、
1995年4月2日に東京ドームで行われた週刊プロレス発行元のベースボールマガジン社主催の『夢の懸け橋』でした。
もちろん自分は見に行きましたよ〜
男女含め、13団体参加したこの興行は対抗、交流戦ではなく、各団体がそれぞれの試合を提供する形でした。
全日本プロレスはセミファイナルの特別試合として、三沢光晴、小橋健太、スタンハンセンvs川田利明、田上明、ジョニーエースを出しました。
この試合、30分時間切れ引き分けでしたが、いつもの全日本プロレスを見せてくれました。
この日の興行の試合で1番評価された試合は全日本プロレスの試合でした。
メインに出場した新日本プロレスの橋本真也は「プレッシャーは感じないつもりでいたんですけど、全日本さんの試合のときに控室から出てきて、オーロラビジョンを見たら、もうこの辺でいくんじゃないかっていうときに、まだどんどん続いていって、お客さんのハートをつかんで、ものすごいかみ合ったいい試合をしていた。」と評価しプレッシャーて感じていたようです。
馬場さんとしては普段の全日本プロレスを見せただけだったと思いますが、全日本プロレスをあまりみない人にとっては衝撃だったのではないでしょうか。
自分も普段どおりの明るく楽しく激しい全日本プロレスだったと思いました。
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