私、細川政元(ほそかわまさもと)様の忍びであり乳母でもあった紗奈(さな)です。
私は政元様の命で政元様亡き後の世がどうなったかを見てきました。
それをここで語りたいと思います。その③です。
永正5年(1508年)7月、入京した足利義尹(あしかがよしただ)様は将軍職に復帰したのです。
義尹を支えたのは大内義興(おおうちよしおき)、細川高国(ほそかわたかくに)、畠山尚順(はたけやまひさのぶ)らでした。
義尹から細川京兆家の当主と認められた高国は管領職に任じられた。
京に安穏な日々が戻ってきた…と思ったのですが…
京から逃れた細川澄元(ほそかわすみもと)、三好之長(みよしゆきなが)は永正6年(1509年)6月に三千の兵を率いて京に侵攻してきたのです。
義尹様は高国と義興の軍勢を差し向けました。その兵の数、二万から三万。
『如意ヶ嶽の戦い(にょいがたけのたたかい)』と呼ばれたこの戦いは高国、義興軍の勝利でした。
澄元、之長は阿波に逃走しました。
これを見た前将軍で近江に逃げていた足利義澄(あしかがよしずみ)様は密かに義尹様の暗殺を図り、刺客を送った。
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