天狗将軍・外伝③〜澄元の逆襲 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私、細川政元(ほそかわまさもと)様の忍びであり乳母でもあった紗奈(さな)です。


私は政元様の命で政元様亡き後の世がどうなったかを見てきました。

それをここで語りたいと思います。その③です。




永正5年(1508年)7月、入京した足利義尹(あしかがよしただ)様は将軍職に復帰したのです。

足利義尹

コアラ苦節15年、流浪して流れ公方とか言われたけど、やっと念願叶ったね


義尹を支えたのは大内義興(おおうちよしおき)、細川高国(ほそかわたかくに)、畠山尚順(はたけやまひさのぶ)らでした。



義尹から細川京兆家の当主と認められた高国は管領職に任じられた。

細川高国


コアラ義興さんは義尹さんの将軍復帰の1番の功労者だったけど、管領代に任じられたんだ。不満だったろうなぁ。



京に安穏な日々が戻ってきた…と思ったのですが…




京から逃れた細川澄元(ほそかわすみもと)、三好之長(みよしゆきなが)は永正6年(1509年)6月に三千の兵を率いて京に侵攻してきたのです。



義尹様は高国と義興の軍勢を差し向けました。その兵の数、二万から三万。


コアラあら〜兵の数が違いすぎる〜


『如意ヶ嶽の戦い(にょいがたけのたたかい)と呼ばれたこの戦いは高国、義興軍の勝利でした。


澄元、之長は阿波に逃走しました。




これを見た前将軍で近江に逃げていた足利義澄(あしかがよしずみ)様は密かに義尹様の暗殺を図り、刺客を送った。


なんとか難を逃れた義尹様は高国に命じ、永正7年(1510年)近江の義澄様を攻めました。


しかし、高国軍は義澄様の近江の国人衆の軍勢に返り討ちにあったのです。




勢いのついた義澄派、細川一門の典厩家の細川政賢(ほそかわまさかた)、和泉守護家の細川元常(ほそかわもとつね)、播磨の赤松義村(あかまつよしむら)らを味方につけたのです。



政賢、元常軍の侵攻で義尹派は丹波まで撤退しました。


澄元は入京し京を奪回したのです。


しかし、高国、義興は勢力を盛り返し京に迫っていました。


そして両軍激突の『船岡山の戦い(ふなおかやまのたたかい)が近づいていました。




ところが決戦の10日前、義澄様が亡くなったのです…






つづく…




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