世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
永正3年(1506年)、細川澄之(ほそかわすみゆき)は養父・細川政元(ほそかわまさもと)に命じられ、丹後国の一色義有(いっしきよしあり)を攻めた。
澄之は家臣の香西元長(こうざいもとなが)と共に出陣し、丹後の加悦城(かやじょう)の石川直経(いしかわなおつね)を攻めた。
しばらくして澄之らは兵を率いて京に戻ってきたのだ。
政元はあまりの早さで戻ってきた澄之に驚いた。
政元「澄之、丹後攻めはどうしたのだ?」
澄之「敵の石川直経の加悦城を落としたので兵を退きました。」
政元「城を落とした…早い攻めであったの。」
澄之「敵は戦う意志が見えなかったので、後は若狭の武田元信(たけだもとのぶ)殿にお任せしました。」
政元「うむ、下がって緩りと休むがよい。」
澄之はその場から下がったことを見た政元は、
政元「…紗奈(さな)、丹後の様子はいかがであった?」
そこへ忍びの紗奈が現れた。
紗奈「石川直経の兵は退いていますが、澄之様の軍勢は城を囲んだだけで戦は行われていません。」
政元「戦をせず、城を落としたのか?」
紗奈「わかりませぬが…澄之様は直経に内通したのではないでしょうか…」
政元「内通…何のためだ…」
政元は修験道の御堂にこもって呪文を念じ始めた。
政元は念じながら、
『皆、何を考えておる…なぜ治まらない…なぜ争う…』
政元は乱れた世に嫌気がさしていたのだ。
政元は念じる動きは激しくなっていた。
翌永正3年(1507年)、政元は驚くべき発言をした。
政元「わしは奥州へ行く!廻国修行をする!」
政元は修験者の服装に身を変えていたのだ…。
つづく…
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