世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
永正元年(1504年)9月、薬師寺元一(やくしじもとかず)の反乱を鎮圧した細川政元(ほそかわまさもと)は養子の1人、聡明丸(そうめいまる)を元服させた。
聡明丸は将軍、足利義澄(あしかがよしずみ)から一字を頂き、細川澄之(ほそかわすみゆき)と名乗った。
政元は澄之に語った。
澄之「父上、我、元服でき、ありがとうございます。」
政元「うむ、言っておくが之の字はかつて京兆家として将軍を支え権力を誇った細川頼之(ほそかわよりゆき)公から頂いた。」
頼之さんは室町時代で1番権力を誇った将軍、足利義満(あしかがよしみつ)さんを幼少から支えたんだよ
政元「わしは後継ぎを名で決めてはおらぬ。元の字にこだわってはおらぬ。それをわかっておけ。」
澄之「はい。」
政元「先の元一の乱…わしは阿波を許してはおらぬ…。」
この頃、細川阿波守護家は讃岐国を圧迫しており、政元はそこに目を付けた。
政元は淡路守護家の細川尚春(ほそかわひさはる)に命じ討伐を計画したのだ。
淡路守護家は鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した細川三兄弟の1人、師氏(もろうじ)さんを祖とするんだ。ちなみに三兄弟は他に和氏(かずうじ)さん、頼春(よりはる)さんなんだよ。
政元「尚春、讃岐から阿波守護家を攻めるのだ。わしも後に行く。」
尚春「かしこまりました。任せてくだされ!」
尚春は兵を率い、讃岐に入った。
一方、阿波守護家では当主は細川之持(ほそかわゆきもち)であったが権限は之持の祖父、成之(しげゆき)が握っていた。
成之は政元の計画を知り、それに備えていた。
成之『政元め、返り討ちにしてくれるわ!』
成之は家臣の三好之長(みよしゆきなが)に命じ、先制を期して淡路を攻撃したのだ。
之長が尚春の淡路の館を攻め炎上させたのだ。
政元『くっ!三好之長か!わしが蹴散らしてくれるわ!』
その後、政元は自ら淡路に出陣したのだ…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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