世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
明応8年(1499年)7月…
「我に武具を貸せ!でないと寺を潰すぞ!」
京の相国寺(しょうこくじ)で将軍・足利義高(あしかがよしたか)が声を荒げていた。
義高は北から足利義尹(あしかがよしただ)、南から畠山尚順(はたけやまひさのぶ)が攻め上ってくる状況に危機感を持ち、焦っていたのだ。
焦る義高を伊勢貞宗(いせさだむね)が必死になだめた。
貞宗「御所様(義高のこと)、戦のことは細川政元(ほそかわまさもと)が動いておりまする。心配されますな。」
義高「本当か?我を討ち取りにくるのだろ?」
貞宗「…大丈夫にございます。」
義高は周りが呆れるほどの焦りだったのだ。
一方、攻め上っていた義尹は近江にいたが…
「うわぁ!敵だ!」
義尹の軍勢は奇襲にあった。
その敵は六角高頼(ろっかくたかより)の軍勢だった。
義尹「うわぁぁぁ!」
義尹は鎧を着ける間もなく、ただただ逃げるしかなかった。
高頼は明応4年(1495年)、義高によって近江守護に復帰していた。もちろん、これは政元が動いたおかげで復帰できたのだ。
政元は南から攻め上っていた畠山尚順に比叡山焼き討ちで実働した赤沢朝経(あかざわともつね)を向かわせた。
任された朝経は尚順を見事打ち破ったのだ。
北と南からの軍勢からの危機を脱した政元は、
政元「ふぅ…これで義尹も懲りたであろう。紗奈(さな)、義尹の行方を追ってくれ。」
紗奈「はい、既に忍びを放っておりまする。」
逃げた義尹は、この後、周防の大内義興(おおうちよしおき)の元に行くのである。
朝経は大和国に逃げた尚順を追い、大和の尚順側の国人衆を追討し、さらに寺社を焼き討ちし大和北部が政元の版図が拡大する結果になった。
さらに政元は周辺国の国人を被官化し支配勢力の強化を図ったのだ…。
つづく…
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