天狗将軍 〜第84話 挟み撃ち〜 | 歴史を感じよう

歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️



世は争乱…

我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。



明応7年(1498年)9月、足利義尹(あしかがよしただ)は越前国朝倉貞景(あさくらさだかげ)の一乗谷に入った。

コアラ足利義材(あしかがよしき)さんから義尹さんに名を変えたんだね


一乗谷・朝倉館跡


貞景「義尹様、遠路お疲れ様です。」

義尹「なんの、これしき。京を奪回するまでは疲れなどと言うてる場合ではない。」

貞景「ここから京奪回の号令をいたしますか?」

義尹「うむ、紀伊の畠山尚順(はたけやまひさのぶ)、周防の大内義興(おおうちよしおき)、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)の僧兵、そして、貞景が一気に攻めれば細川政元(ほそかわまさもと)も一溜まりもあるまい。」

貞景「……まっ、まずは旅のお疲れを取ってくださいませ。」


貞景は義尹の勢いに少し迷惑そうであった。






義尹に期待されている紀伊の畠山尚順は、先代より争っている河内の畠山義豊(はたけやまよしとよ)の牙城を徐々に崩していた。

コアラ尚順さんのお父さんは畠山政長(はたけやままさなが)さん、義豊さんのお父さんが畠山義就(はたけやまよしなり)さんなんだよね





そして明応8年(1499年)1月、ついに尚順は河内で義豊を討ち取ったのだ。






この報せは瞬く間に京の政元の知るところになった。


政元「紗奈(さな)、それは誠か!?」

紗奈「はい、河内、紀伊に放っていた我が忍びが義豊殿の死を見ております。」

政元「くっ、義豊め!頼りにならん!北からは義尹が朝倉と攻めてくるやもしれんのに、南からは尚順が来たら挟み撃ちではないか!」

紗奈「朝倉は来ますか?今、この畿内だけじゃなく越前でも飢饉が起きておりまする。」

政元「朝倉には兵糧がないのか!?ならば朝倉は攻めてこられぬ。」

紗奈「ただ義尹様は単独で来られるやもしれませぬ。」

政元「義尹の兵は千にも満たない。そこは大事ない。」

紗奈「叡山の兵はいかがしますか?」

政元「うむ、叡山は義尹に味方しおって…この際、わしの力を見せつけてやらねば…」





政元はニヤリと笑った。





一方、義尹は焦っていた。

義尹「貞景!一緒に上洛してくれぬのか!?」

貞景「申し訳ございませぬ。我が越前は飢饉に見舞われ、兵糧が足りませぬ。戦には兵糧が必要…それがないのです。これでは上洛はできませぬ。」

義尹「紀伊の尚順が河内で勝利し、京を挟み撃ちする絶好の機会ぞ!なんとかならぬのか!?」

貞景「今は自重なさいませ。我は出れませぬ。」


義尹「ならば…わしだけで行くわ!」




コアラちなみに周防の大内義興さんも内紛があって上洛どころではなかったんだ。



義尹は朝倉の越前国を出て京を目指した。その兵は政元の予想通り、千にも満たなかった。




同年7月、京の山、比叡山が燃えていた…。






つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜







にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村
コアラ宜しければバナー⬆️をクリックしてね