世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
足利義材(あしかがよしき)が将軍となり、その父、義視(よしみ)が大御所として政を行なうようになると、細川政元(ほそかわまさもと)は幕府と距離を置くようになった。
政元さんは義材さんの将軍就任式の1日だけ管領職に就いて、すぐ辞めちゃったんだよね
政元の変わりに管領職に就いたのが畠山政長(はたけやままさなが)だった。
義視「政長、応仁の乱ではいろいろあったが…義材の下、幕府を頼むぞ。」
政長「お任せください。我が御所様(義材のこと)をお守り致します。」
義材「政元とも力を合わせ、幕府を頼む。」
政長「政元?あの小童などいなくても我が畠山だけで大事ありませぬ。小童は二枚舌ゆえ、いつ騙されるかわかりませぬぞ!」
義視「そうだ、細川は油断ならぬ。義材、気を許してはならぬぞ。」
義材「……。」
政長はかつて河内の畠山義就(はたけやまよしなり)攻めで、政元が自らの摂津の一揆を治めたら、義就と和議をして京に帰ったことを恨みに思っていたのだ。
その頃、政元は、またも鞍馬山に篭っていた。
政元は手を使い呪文のようなことを唱えていた。
政元の忍び、紗奈(さな)だけは常に側にいた。
紗奈さんは政元さんの乳母であり忍びであり男女の関係でもあるんだよね
紗奈「殿の予想通り、畠山政長殿が義材様に付きました。」
政元「やはりか…今は好きにさせてやる。」
紗奈「殿、これからどうなさるおつもりですか?」
政元「わしは関東に行こうと思う。清晃(せいこう)様を推す以上、その父の足利政知(あしかがまさとも)様に会っておかねばならぬ。それより…義視様は…邪魔だの…。」
紗奈「義視様…今、殿が唱えている呪文は…義視様の…」
政元「うむ…義視様は応仁の乱の修羅場を乗り越え、様々な経験がある方だ。そう簡単にはいかぬ方だからの…。」
紗奈「……わかりました。」
紗奈は政元の意を汲んで動き出した。
延徳3年(1490年)10月、義視の妻であり義材の母、日野良子(ひのよしこ)が亡くなった。
良子さんは日野富子(ひのとみこ)さんの妹でもあるんだよ
さらに義視もその頃から体調が優れなくなった。
義視「どういうことだ…めまいが酷くなる一方だ…」
義視の病はさらに悪くなり、床に伏せることが多くなっていった。
政元の呪文が効いた…のではなく…
紗奈が密かに義視の食事に少しずつ毒を盛っていたのである。
そして延徳4年1月7日、義視は亡くなった…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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