世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
延徳2年(1490年)4月…
「小川御所を清晃(せいこう)に与えるだと!」
我が母、日野富子(ひのとみこ)が自らの住まいである小川御所を与えようとしたことに足利義視(あしかがよしみ)は激怒した。
さらに富子は細川政元(ほそかわまさもと)と組んで義視の子で次期将軍の義材(よしき)を退け清晃を将軍にしようとすると噂が義視の怒りの火に油を注いだのだ。
義材「父上、小川御所を与えることは…」
義視「小川御所は前将軍の義尚が住まいにしていたのだ。つまり、それを与えるということは、清晃の将軍就任を企んでいるのだ!富子も政元も!」
義材「されど大御台様(富子のこと)は我を推してくれたではありませぬか?」
義視「あやつは女狐だ。我らを騙すことくらいやる女だ…ならば…兵を集めよ!小川御所を壊せ!もはや義材は将軍ということを知らしめてやるわ!」
5月、義視は富子の居間を残して、小川御所を破却した。
さらに富子の領地まで取り上げてしまったのだ。
富子が驚いたのは言うまでもない。
富子「私の館を壊すとは…義視…義材…許さん!」
この騒動で富子は義視、義材と距離を置くようになった。
政元はこの騒動に対し動くことはなかった。
政元『これで大御台様はこちらに付くことになった。』
これは政元の謀略だったのだ。
7月、義材は正式に室町幕府、第10代征夷大将軍となった。
義視は将軍の父として大御所の地位に付き、政を始めたのだ。
政元は将軍就任の儀式の際は管領として出席したが、1日で管領は辞職した。
そして幕府と距離を置いた。
政元に変わり管領となったのは畠山政長(はたけやままさなが)だった…。
つづく…
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