世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
元号が8月に改元され、延徳(えんとく)となった。
延徳の前は長享(ちょうきょう)だね
細川政元(ほそかわまさもと)は密かに京の鞍馬山(くらまやま)に足を運んでいた。
鞍馬山って霊山なんだよ、さらに山岳修験の場でもあるんだ。かつては源義経(みなもとのよしつね)さんが修行した山なんだって
政元は大きな岩の上に座り込み、ずっと瞑想していた。
傍には政元の乳母であり忍びであり男女の関係でもある紗奈(さな)もいた。
政元「…こうして山にいると心が落ち着く。紗奈はどうだ?」
紗奈「私には…あまりわかりませぬが…京の騒がしさがなく静かですね。」
政元「いつまでもこうしていたいものだが…」
紗奈「殿は…修験道に入り…天狗になるおつもりですか?」
政元「ふふっ…そうもいくまい。家臣たちがわしを放ってはいないだろ。…この先、世の中がどう動くか見極めねば…。」
政元はその後も鞍馬山に足を運んでは瞑想することが多かったようだ。
明けて延徳2年(1490年)1月7日、
我が父で第8代征夷大将軍であった足利義政(あしかがよしまさ)が亡くなった。
政元『大御所様(義政のこと)…御言葉の通り、これからは私の好きにさせて頂きますぞ』
政元は葬儀の席で位牌に手を合わせて、内心そう思っていた。
義政の死で足利義材(あしかがよしき)の将軍職就任は確実なものとなった。
我が母、日野富子(ひのとみこ)は義材将軍職就任のことで政元に会った。
富子「政元殿、もう反対はしないですね?」
政元「はい、亡き大御所様も承知のこと。私は臣下として支えて参ります。ただ…」
富子「ただ…?なんです?」
政元「大御所様は清晃(せいこう)様に大御台様(富子のこと)の居る小川御所を譲ってほしいと言っておられました。そして立派な僧侶になってほしいと…」
富子「大御所様がそんなことを…。わかりました。大御所様の遺言ならば、そう致しましょう。」
政元「清晃様も亡き大御所様もお喜びでしょう。」
政元は富子に頭を下げたが…顔はニヤリとした表情になっていた。
この事が足利義視(あしかがよしみ)、義材親子と富子の仲を裂くことになるのだった。
同年4月、富子は小川御所を清晃に与えた。
この事は富子が清晃を将軍にしようとしていると噂がたったのだ。
そして怒ったのが義視、義材であった…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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