世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
長享3年(1489年)3月末…
我の葬儀が営まれた。
我の亡骸は京へ帰り、我が母・日野富子(ひのとみこ)や細川政元(ほそかわまさもと)が葬ってくれたのだ。
政元は葬儀に参列するため、入京しようとしていた足利義視(あしかがよしみ)、義材(よしき)親子を美濃に留め置いた。
我が政元に残した言葉…
『そなたが将軍になるのだ。』
そのことを思い、将軍候補の義材を参列させなかったのだろう。
葬儀の翌日、政元は我が父・足利義政(あしかがよしまさ)に呼ばれた。
義政「政元、義視らの参列を拒んだのは…次の将軍候補を嫌ってのことか?」
政元「…亡き御所様のことを思うと、経緯はともあれ、政敵だった方の参列はお断りするしかありませんでした。」
義政「もう終わったことだ…しかし、義視らは京に来るぞ。富子が呼んでおるからの。」
政元「それは仕方ありませぬ…大御所様は次の将軍には誰をお考えでしょうか?」
義政「…わからぬ。わしが決めるわけにもいくまい。また争いの種になろう。しばらくはわしが政をやろう。」
政元「されど…大御所様はお体がお悪いのでは?」
義政「わしの命尽きるまでは、わしがやる。それが義尚へのせめてもの供養だ。」
義政「政元、そなたが何をやろうとしているか、わしにはわかる。しかし、わしが生きている間は何もやるな。義尚ために喪に服しておれ。」
政元「……」
政元は義政に見透かされているようで何も言えなかった。
政元は東山山荘から出ようとした時、2人の武士とあった。
それは政元と同じ細川一門であり、阿波守護家の細川成之(ほそかわしげゆき)と当主の之勝(ゆきかつ)であった。
政元「これは…成之殿に之勝殿ではないか。」
成之「政元殿、久しいの…此度、亡き御所様のことでは大変でしたな。」
政元「いや…そちらこそ政之(まさゆき)殿を亡くされて、さぞお辛いことと察します。」
成之「政之はそうゆう定めだったのでしょう。之勝が跡を継いで家は成り立ちます。」
政元「今日は大御所様にお会いに来られたのか?」
之勝「わしに子ができましてのう…当主になった挨拶も兼ねて、大御所様にお報せに来たのじゃ。」
政元「子ができましたか、めでたいことです。」
成之「政元殿も早く跡取りを作りなされよ。跡取りがいないと御家騒動になりかねんからな。」
之勝「では…また、いずれ」
政元は2人の後ろ姿を苦々しく見ていた。
この時に生まれた之勝の子が後に政元と大きく関わってくることになる。
4月半ば、義視、義材親子はついに上洛したのだ…。
つづく…
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