馬場さんがNWAを捨てた日 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

昭和の全日本プロレスにとって切り離せないのがNWA


当時、NWA世界ヘビー級チャンピオンは世界で一番権威のあるタイトルでした。

コアラ世界最高峰のタイトルだね



馬場さんもチャンピオンに3度なっています。





この権威のあるNWA、ほぼ毎年のようにチャンピオンが来日し選手権試合を行っていました。


1989年に来日したのは、当時のチャンピオン、リッキースティムボード





挑戦者はタイガーマスク

正体は三沢光晴





自分は「リッキーが世界チャンピオン…⁈」と物足りなさを感じました。


さらに、今までだと挑戦者はジャンボ鶴田天龍の全日本プロレスのトップでしたが…当時はトップとは言えないタイガーが挑戦…。



コアラ三沢さんがトップになるのは、数年後だもんね



当時、NWAはアメリカの1プロモーター(ジムクロケットジュニア)が独占しており、さらにWWF(現在のWWE)の全米侵攻で弱体化していました。


何か規模が小さくなり、チャンピオンも小さく(失礼!)…



試合は、空中戦!




結果はリッキーの勝利。







この日を最後に全日本プロレスにNWAチャンピオンは来ていません。






あれほどNWAを大切にしていた馬場さんがNWAを捨てた日になったと思います。


もう時代はNWAではないと数年前から思っていたのでしょう。



そして、馬場さんは全日本プロレス独自の世界タイトルを用意したのです。



それが…

三冠ヘビー級王座でした。







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