明るく楽しく激しいプロレス誕生 | 歴史を感じよう

歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

 1988年のプロレスを語ります。

コアラ今回も全日本プロレスだね


8月29日の日本武道館大会ブルーザーブロディメモリアルナイトにおいて、こんなシングルマッチが行われました。


ジャイアント馬場
vs
ラッシャー木村



コアラ馬場さんはやっぱり貫禄あるなぁ〜、ラッシャーさんは馬場のTシャツ着てる(笑)



これまで2人のシングルマッチは木村さんが国際プロレス時代から始まりました。



1975年には試合中にアブドーラ・ザ・ブッチャーの乱入で流血し、馬場さんに負けました。



1978年は馬場さんの足4の字固めでロープに逃げたはずが、リングから出て、なぜかリングアウト負け。


国際プロレス所属時代は対馬場戦は不可解な負けばかりでしたね。




全日本プロレスに上がり国際血盟軍として、1985年に戦った時は木村さんの足がロープにかかってる?のにフォール負け。


コアラうむ〜不可解な決着ばかりだね。



しかし、1986年に戦った時は、


馬場さんのラリアットからギロチンドロップが決まり、初めてスッキリした決着がつきました。



そして、この日の試合。


リング上で相対すると…絵になりますね。



ラッシャー木村といえば、自分はこの張り手。

全盛期からバシッと威力を感じます。




試合は馬場さんの16文キックからランニングネックブリーカードロップが決まり、馬場さんのフォール勝ち。


コアラスッキリした勝ち方だね


この頃は木村さんのマイクパフォーマンスは周知されており、この日の試合後もマイクコールが起きました。


そして…




「俺はな、これだけ馬場と試合するとな、とてもな、他人とは思えないんだよ。だからな、だから一回でいいからな、今度な、お前のことをな、兄貴って呼ばせてくれ!いいなこのヤロー」



馬場さん、ニッコリ。

コアララッシャーさん、まるで勝ったかのように手を上げてるね(笑)



2人とも全盛期を過ぎていましたが、まさにプロ!

魅せてくれましたね。


これぞ、後に全日本プロレスのキャッチフレーズとなる…

明るく楽しく激しいプロレス


この日が誕生だったのではと思います。




2人のシングルマッチはこれが最後となり、この後、本当にタッグを組むことになり、兄弟タッグと呼ばれました。


コアラ世界最強タッグ決定リーグ戦にも出場したんだよね〜






さて…話は前後しますが、全日本プロレスには新たなユニットが誕生していました。


コアラ?なんだっけ?


それは次回で。





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