世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
文明6年(1474年)9月…
細川政元(ほそかわまさもと)の頭の中は7月に遭遇した天狗が焼き付いていた。
政元さんが大内政弘(おおうちまさひろ)さんに遭遇した時に会ったんだ。
政元の元へ山名政豊(やまなまさとよ)がやって来た。
政豊「政元殿、大内政弘が一時的な和睦を乞うてきたぞ。」
政元「大内が!?何がありましたか?」
政豊「大内の領国、北九州の大内領を東軍である大友親繁(おおともちかしげ)と菊池重朝(きくちしげとも)が侵攻しようと画策しており、政弘はその動きを知ったようだ。」
菊池重朝さんは九州は肥後の守護。肥後は今の熊本県だね。
政元は天狗が政弘に言っていた『領国は大事ないかの?』の言葉を思い出した。
政元「天狗が言っていたことはこの事だったのか…」
政豊「天狗?何の事ですか?」
政元「いや…それで和睦するのですか?」
政豊「和睦と言っても一時的な停戦でしょう。山名としては返事はせず静観します。」
政元「それがよいと思います。ところでこの話、大内は誰を通じて言ってきたのですか?」
政豊「日野勝光(ひのかつみつ)殿です。勝光殿から大御所様や私に伝わってきました。」
この時期、我が父、足利義政(あしかがよしまさ)は前将軍として大御所と呼ばれていた。
我が父は我がいる室町御所からは出て行き、新たに建設した小河御所に住まいを移している。
我を補佐する勝光や我が母であり義政の正室、日野富子(ひのとみこ)を煙たがり逃げたのだろう…。
幕府の政は勝光さんや富子さんがやっていたんだ。
この後、大内は京に滞在し目立った動きはなかったものの、美濃や越前、尾張辺りで争いが絶えず、さらに加賀国では守護・冨樫氏(とがしし)の内紛に加賀の一向衆が加担したりと地方が騒がしくなっていた。
この状況の中、我が父、義政は酒を飲み趣味三昧な日々に明け暮れていたのだ…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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