世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)です。
「うわぁぁ〜」
「押し出せ!」
「斬れ!殺れ!」
細川政元(ほそかわまさもと)…幼名、聡明丸(そうめいまる)が生まれた翌年の応仁元年(1467年)、ついに戦が始まったのだ。
これが世に言う応仁の乱(おうにんのらん)だ。
戦いは守護大名家の家督争いが原因だが、我が足利将軍家もその1つであったのだ。
足利将軍家は我が父・足利義政(あしかがよしまさ)が将軍であった。
しかし、乱が起きる以前から父は将軍の職務より趣味の世界に没頭したいらしく、将軍を辞めたかったのだ。
我がまだ生まれておらず、後を継ぐ直系の男子がいなかったのだ。
そこで父は自らの異母弟で出家していた義尋(ぎじん)を後継ぎに指名したのだ。
寛正5年(1464年)、義尋は還俗し足利義視(あしかがよしみ)と名乗り、父の養子となり将軍家の後継ぎ候補になった。
義視の後見人には政元の父、細川勝元(ほそかわかつもと)が任命された。
ところが翌年の寛正6年(1465年)11月に父の正室・日野富子(ひのとみこ)が男子を生んだ。
幼名を春王(はるおう)…これが我だ。
母は我を足利将軍家の後継ぎに付けたく、義視と対立し始めました。
富子「御所様、御所様の血を受け継いだ男子が誕生したのだから、義視殿には退いてもらいましょう!」
義政「それは…義視を後継者にした時の条件で我が子が生まれたら仏門に入れると約束したのだ。」
富子「なんてことを!我が子ですぞ!御所様の直系ですぞ!」
義政「義視の後見人の勝元にも念を押されたのだ。あきらめよ。」
富子「なりませぬ!なりませぬ!」
母は義視に勝元がいるならと、勝元と同じくらいに権力を持っていた山名宗全(やまなそうぜん)を頼ったのだ。
こうして上御霊社の戦い(かみごりょうしゃのたたかい)から始まった応仁の乱が勃発したのだ。
我や政元はまだ世の動きなどわからぬ赤子…しかし大人たちは戦い、京を焼き尽くしていたのだ…。
つづく…
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