世は争乱…
我は室町幕府、第9代征夷大将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)である。
文正元年(1466年)、有力守護大名、細川勝元(ほそかわかつもと)に待ち望んだ男子が生まれたのだ。
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産んだのは勝元の正室の里(さと)。
勝元「でかしたぞ、里」
里「殿にお褒めの言葉、嬉しゅうございます。」
勝元「もう子は諦めておったが…さすが宗全(そうぜん)殿の娘だ。」
里はこれまた有力守護大名の山名宗全(やまなそうぜん)の養女なのだ。
勝元「この子の名を考えてきた。」
里「なんと?」
勝元「聡明丸(そうめいまる)だ。我が幼名を引き継ぐのだ。」
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喜びの勝元はそこへ1人の女を呼び寄せた。
里「こちらは?」
勝元「うむ、聡明丸の乳母だ。名を紗奈(さな)だ。」
紗奈「御台様、お初にお目にかかります。此度は男子誕生おめでとうございます。」
勝元「紗奈には聡明丸の養育も任せる。立派な嫡男になるように頼むぞ。」
里「嫡男…?殿、我が父、宗全から頂いた養子の豊久(とよひさ)はいかがなさるのですか?」
勝元「むろん廃嫡だ。我が血が繋がる男子が生まれたのだからな。」
里「…父が怒ります。」
勝元「里、お前は腹を痛めて産んだ聡明丸を嫡男にしたくないのか?」
里「それは…」
里は何も言えなくなった。里としては複雑な心境であっただろう。
勝元は長く子に恵まれず、山名と縁を強くするために宗全の子、豊久を養子にもらい受けていたのである。
…聡明丸の誕生で豊久は廃嫡になっただけでなく、仏門に押し込められたのだ。
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この一件で宗全が怒ったのも無理はなく、細川と山名は対立関係に陥ることになる。
さらにこの時、あちこちで起きていた家督争いに油を注いだのだ。
その家督争いは我が足利将軍家も当てはまっていたのであった…。
つづく…
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