外伝「白の執権」〜その後の北条氏③です。
北条経時(ほうじょうつねとき)亡き後、執権となったのは経時の弟・時頼(ときより)。
この機を付き、反執権勢力は好機と見て前将軍・藤原頼経(ふじわらのよりつね)や名越光時(なごえみつとき)らは反執権の御家人と連携し時頼打倒の画策しました。
光時「今こそ執権を討つ時ぞ!」
しかし、この動きは時頼方の知るところとなり、時頼は先に動いたのです。
1246年4月、深夜、鎌倉に甲冑をつけた武士が集まり、流言が飛び乱れたのです。
これに反執権勢力は惑わされたのです。
頼経「なんだ?この群衆は?兵を集めたのか?」
光時「いえ、我らの兵ではありませぬ…時頼方の兵か…」
さらに時頼は鎌倉と外部の連絡を遮断したのです。
これにより、反執権勢力は降伏したのです。
去就を曖昧にさせていた三浦泰村(みうらやすむら)は時頼に恭順し、ここに時頼方の勝利が確定したのでした。
頼経は鎌倉を追放となり、京へ戻され…
名越は光時の弟・時幸(ときゆき)は自害、光時は所領を没収され伊豆に流罪となったのです。
これで幕府内における時頼の権力が確立されたのです。
この一連の騒動を宮騒動(みやそうどう)と言います。
さらに翌1247年、時頼は三浦氏を宝治合戦(ほうじかっせん)で滅ぼし、専制体制を完成させたのです。
名越北条氏は光時が流罪となったが一族は残り、その後も北条本家と揉め、時頼の子・時宗(ときむね)の代に二月騒動(にがつそうどう)で敵対することになるのです。
泰時が目指した公平な政…とは違う体制になり、まさに諸行無常の世の中でした。
おわり
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