諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1232年夏…私は六波羅にいる兄・重時(しげとき)の元に来ていました。
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重時「竹子、泰時兄から文とこれを送ってきた。」
竹子「これは…ついに完成したのですね。」
重時が見せてくれたのは、
御成敗式目
(ごせいばいしきもく)
竹子「これが武士の法なのですね」
重時「そうだ、泰時兄からの文にはこう書いてある…」
ーーーーー
この法は身分の高下関係なく、公平に裁判をするために作った。京では「物を知らぬ東夷が何を言うか!」というものや「法なら既に律令がある」と反対するものもいるだろう。しかし、律令は田舎にまでは通用しないのが実状だ。
我ら武士の中には漢字も読めぬものもいる。この法はそんなもののための法でもあり、人の心の正直を尊び、曲がったものを捨て、安心して暮らせるというごく平凡な道理に基づいたものなのだ。
ーーーーー
竹子「泰時兄上様らしいですね」
重時「うむ、わしは御成敗式目を早く西国各地の武士に通達せねばならぬ。泰時兄の精魂込めた式目だからな。」
泰時を始めとする評定衆の一部で作成された御成敗式目は1232年8月に完成したのです。
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泰時は評定衆を集め、御成敗式目を発表しました。
泰時「ようやく我ら武士のための法が完成した。今後、御家人同士や御家人と各地の領主との争いを公平に裁判する基準を示したものだ。」
三浦義村(みうらよしむら)「この法を公家も当てはまるのか?」
泰時「いえ、この法はあくまで武士の法。公家の法を否定するものでありません。」
御成敗式目の主な内容として『将軍が与えた土地の支配権を保証する』、『20年間土地を支配し続けた場合はその支配権を認める』、『守護は国ごとに1人、仕事は京の警備の催促と謀反人と殺害人の逮捕のみ』、『地頭は荘園、公領ごとに置かれ、仕事は年貢の徴収、警察』。
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泰時は寛喜の飢饉(かんきのききん)の中、夜寝るのも惜しみ、作り上げた御成敗式目は後の武士の世にまで伝わる基本となる法となったのです。
1232年夏の終わり、大きな仕事を終えた泰時の元に訪ねるものがいました。
「港を作りたいのですが…」
これにより、かつて泰時が願っていたことが現実のものとなるのです…。
つづく…
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