諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1227年9月、泰時の館は賑わっていました。
泰時の長男・時氏(ときうじ)の妻、景子(けいこ)が子らと一緒に京から帰っていたのです。
景子は後に松下禅尼(まつしたぜんに)と呼ばれる女性で御家人・安達景盛(あだちかげもり)の娘です。
安達氏は初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)さんに古くから仕えていたんだ。景子って名前はこの物語の創作だからね。
時氏と景子の子は2人で男子でした。
長男は太郎(たろう)で4歳、次男は戒寿(かいじゅ)で1歳でした。
泰時にとっては孫にあたります。
泰時「無事に鎌倉に戻れて何よりじゃ。」
景子「はい、鎌倉は私の生まれ育った故郷。やはり落ち着きます。」
そこへ優子(ゆうこ)が来ました。
優子さんは泰時さんの前の奥さんで時氏さんの実母だね。
景子「これはお母様、お久しゅうございます。」
優子「景子殿も太郎、戒寿も無事で安心しました。」
泰時「京は先の騒動で不穏なゆえ、景子らは戻ってきたのじゃ。」
先の騒動とは行方不明だった後鳥羽法皇(ごとばほうおう)様の側近・尊長(そんちょう)が捕まったことでした。
優子「京の時氏には我が夫・佐原盛連(さはらもりつら)の乱行で迷惑をかけて…申し訳ないやら恥ずかしいやらで…」
泰時「うむ…盛連の行為はわしも聞いておるが…ここは時氏に任せよう。身内だからといって甘くしてはならぬこと、時氏も心得ておろう。」
その時、
戒寿「きゃっ、きゃ」
優子「あらっ、戒寿が笑ったわ。まるで話がわかっているようですね。」
景子「この子はよく笑います。」
時氏の子、太郎は後の経時(つねとき)。そして戒寿は後の時頼(ときより)…2人とも執権になるのです。後々のことですが…
この時、景子のお腹にはもう1人の子を身ごもっていたのです。
時氏さんと景子さんは他に女の子も生まれたんだ。仲良かったんだね。
1228年には時氏は若狭国(現在の福井県南部辺り)の守護に任命され、泰時の後を継ぐ嫡男として期待されていました。
泰時は鎌倉にも京に倣い、大番役を設置しました。
鎌倉の大番役は鎌倉を警備するお役目なんだよ。御家人に振り分けて事に当たるんだ。
着々と地固めを行う泰時でしたが、その頃、各地で新たに任命された地頭と現地の人との間で揉め事が起こっていました。
これは承久の乱以降に頻発し、泰時を悩ますようになっていたのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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