白の執権 〜第133話 重鎮逝く〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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諸行無常の世の中…

我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。




泰時は政子(まさこ)様の承認を得て、北条家に家令を置きました。

泰時が家令に選んだのは尾藤弥助(びとうやすけ)改め尾藤景綱(びとうかげつな)でした。


コアラこの家令職は後の内管領(ないかんれい)の前身なんだよ



1225年春になりました。

泰時は新たな御所の建築に取り掛かっていました。


御所は最初の大倉御所が1219年に火災で焼失、その後、亡き義時(よしとき)の館内の南方を仮御所としていました。



新たな御所は鎌倉の宇都宮辻子(うつのみやずし)に建築されていたのです。

現在の宇都宮辻子御所跡



その頃、幕府の重鎮である大江広元(おおえのひろもと)が病で伏せっていました。

大江広元


泰時は見舞いで広元の館を訪れてました。


泰時「広元殿、お加減いかがですか?」

広元「わざわざのお越し、ありがとうございます。わしも歳を重ねて、この有様…泰時殿に謝らなければならぬことがあります。」

泰時「謝ることとは…?」

広元「我が愚息、親広(ちかひろ)のことじゃ…泰時殿の妹御を嫁にもらっておきながら先の承久の乱(じょうきゅうのらん)で朝廷方に付きおって…」

泰時「そのことはもう済んだこと。親広は行方知れずとか…」

広元「親広は我が妻の親のところにおりまする…。」

泰時「広元殿の奥方の親は多田仁綱(ただのりつな)ですね…となると出羽国の寒河江荘(さがえのしょう)に?」

コアラ多田行綱さんは寒河江荘の地頭なんだ。出羽国寒河江荘は現在の山形県寒河江市辺りかな。


広元「寒河江で匿われているのです。妻はわしには隠しておったようですが…わしにはわかります。泰時殿、捕らえて処罰してくだされ。」

泰時「広元殿…そのままにしておきましょう。親広は寒河江で反省をしておるでしょう。」

広元「……泰時殿、ありがとうございます…」



義絶したとはいえ、広元はやはり子のことを気にかけていたのです。



1225年7月16日、広元は逝去しました…





広元の逝去と同時期、政子様は病で館に籠りっきりでした。


8月の初め、泰時は政子様を見舞いました。


政子「泰時、新たな御所の建築は進んでいますか?」

泰時「はい、秋には完成の予定です。叔母上にも見ていただかなければなりませぬ。」

政子「広元殿も逝き、次は私でしょう。」

泰時「何を言われる。叔母上らしくもない。」

政子「泰時…そなたに会わせたい人がいます。」

泰時「私に会わせたい人…どなたでしょう?」

政子「……あなたの実の母親です。今まで隠しておりました。」

泰時「母親…」 


コアラこの物語では泰時さんは生まれてすぐ母親と別れたから、誰かは知らないんだ。

政子「お入りなさい。」


政子の呼びかけに1人の尼僧が入ってきました。


泰時「あっ…あなたは、(てる)!」


入ってきたのは政子様の忍びの輝だったのです…。






つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜




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