諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
泰時は政子(まさこ)様の承認を得て、北条家に家令を置きました。
泰時が家令に選んだのは尾藤弥助(びとうやすけ)改め尾藤景綱(びとうかげつな)でした。
この家令職は後の内管領(ないかんれい)の前身なんだよ
1225年春になりました。
泰時は新たな御所の建築に取り掛かっていました。
御所は最初の大倉御所が1219年に火災で焼失、その後、亡き義時(よしとき)の館内の南方を仮御所としていました。
新たな御所は鎌倉の宇都宮辻子(うつのみやずし)に建築されていたのです。
その頃、幕府の重鎮である大江広元(おおえのひろもと)が病で伏せっていました。
泰時は見舞いで広元の館を訪れてました。
泰時「広元殿、お加減いかがですか?」
広元「わざわざのお越し、ありがとうございます。わしも歳を重ねて、この有様…泰時殿に謝らなければならぬことがあります。」
泰時「謝ることとは…?」
広元「我が愚息、親広(ちかひろ)のことじゃ…泰時殿の妹御を嫁にもらっておきながら先の承久の乱(じょうきゅうのらん)で朝廷方に付きおって…」
泰時「そのことはもう済んだこと。親広は行方知れずとか…」
広元「親広は我が妻の親のところにおりまする…。」
泰時「広元殿の奥方の親は多田仁綱(ただのりつな)ですね…となると出羽国の寒河江荘(さがえのしょう)に?」
多田行綱さんは寒河江荘の地頭なんだ。出羽国寒河江荘は現在の山形県寒河江市辺りかな。
広元「寒河江で匿われているのです。妻はわしには隠しておったようですが…わしにはわかります。泰時殿、捕らえて処罰してくだされ。」
泰時「広元殿…そのままにしておきましょう。親広は寒河江で反省をしておるでしょう。」
広元「……泰時殿、ありがとうございます…」
義絶したとはいえ、広元はやはり子のことを気にかけていたのです。
1225年7月16日、広元は逝去しました…
広元の逝去と同時期、政子様は病で館に籠りっきりでした。
8月の初め、泰時は政子様を見舞いました。
政子「泰時、新たな御所の建築は進んでいますか?」
泰時「はい、秋には完成の予定です。叔母上にも見ていただかなければなりませぬ。」
政子「広元殿も逝き、次は私でしょう。」
泰時「何を言われる。叔母上らしくもない。」
政子「泰時…そなたに会わせたい人がいます。」
泰時「私に会わせたい人…どなたでしょう?」
政子「……あなたの実の母親です。今まで隠しておりました。」
泰時「母親…」
この物語では泰時さんは生まれてすぐ母親と別れたから、誰かは知らないんだ。
政子「お入りなさい。」
政子の呼びかけに1人の尼僧が入ってきました。
泰時「あっ…あなたは、輝(てる)!」
入ってきたのは政子様の忍びの輝だったのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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