諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1224年7月、鎌倉…
泰時は父・義時(よしとき)の墓に訪れていました。
この⬆️広地に義時さんの法華堂があったらしいんだよ
泰時は『伊賀氏の変(いがしのへん)』の後、政子(まさこ)様から依頼をされていた執権就任を正式に受けました。
さらに北条氏の家督も継いだのです。
泰時は義時の墓に手を合わせ、語りかけていました。
泰時「父上…私が父上の後を継ぐことになりました。されど、私に武士の世を守れるのか……」
「泰時、しっかりせんか!」
泰時「!!」
泰時の背後から声をかけるものがいました。
泰時はその姿を見ると、
泰時「そなたは…優子(ゆうこ)ではないか!」
優子さんは泰時さんの前妻なんだよね。別れても2人は信頼し合ってるんだね。
優子「泰時殿しか鎌倉を、武士の世を守れる人はいません。政子様もそう思って後継ぎに指名したのですよ。」
泰時「うむ〜、人の上に立つものは非情にならねばならぬ。黒さを持たねばならぬ。わしにそんな事ができようか?」
優子「泰時殿には人を思いやる心があります。白い心があります。乱が治った今の世こそ、泰時殿の力が必要だと私は思います。」
泰時「……ふっふ」
泰時は小さく笑いました。
泰時「別れても、やはりそなたはわしの妻だな。わしを上手く乗せおって。」
優子「お見通しですね。泰時殿のやり方でやればいいのですよ。」
泰時「うむ、何やらやる気が出てきよったわ。」
泰時は執権となり、京の六波羅探題(ろくはらたんだい)北方の職が空位となりましたが、政子様が新たなものを選んだのです。
それが泰時と優子の子、時氏(ときうじ)です。
時氏が京へ出発の時…泰時の館の門では父と子の別れの時でした。
時氏「父上、京は私がしっかり治めてまいります。」
泰時「京には南方の時房(ときふさ)殿がおる。時房殿に習い、西国を治めてまいれ。」
この2人の姿を優子は離れたところで、そっと見守っていたのです。
数日後、泰時の元へ家臣の長崎次郎(ながさきじろう)が帰ってきました。
次郎は泰時の命で『伊賀氏の変』の首謀者の1人、伊賀光宗(いがみつむね)の流罪先の信濃に行っていたのです。
『伊賀氏の変』の首謀者は他に伊賀の方(いがのかた)もいるね。伊賀の方は義時さんの継室なんだよ。
泰時「次郎、何かわかったのか?」
次郎「光宗は濡れ衣だと言っております。密談が行われていた時、光宗は鷹狩りに出かけて不在だったのです。」
泰時「何!?伊賀氏は関係なかったのか?」
光宗は『伊賀氏の変』には関わっていなかった⁈泰時は真相を追求するのです…
つづく…
次回をお楽しみに〜
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