白の執権 〜第124話 新たな帝〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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諸行無常の世の中…

我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。




後鳥羽法皇(ごとばほうおう)様、土御門上皇(つちみかどじょうこう)様、順徳上皇(じゅんとくじょうこう)様が遠方に配流されました。


コアラ後鳥羽法皇さんが隠岐、順徳上皇さんが佐渡に島流しになったんだ。土御門上皇さんは配流を自ら望んで土佐に流されたんだよ。


隠岐の後鳥羽法皇行在所跡



三上皇様がいなくなった京で泰時が次に取り掛かったのは帝のことでした。


帝は配流された順徳上皇様の皇子でした。

コアラ後に仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)と呼ばれてるね。


仲恭天皇様はわずか3歳。
幕府は反幕府であった後鳥羽法皇様、順徳上皇様の流れを断ち切るべく、皇位を廃したのです。



泰時は幕府よりの公家、西園寺公経(さいおんじきんつね)、鎌倉殿である三寅(みとら)様の父・九条道家(くじょうみちいえ)らと次の皇位について話し合いました。

西園寺公経

コアラ公経さん、承久の乱の時は後鳥羽法皇さんに幕府寄りだったから幽閉されてたんだよ。


道家「麻呂は帝の摂政だったのに…上皇さんらが乱を起こすから辞めるはめになったわ。」

公経「道家殿、上皇さんらに与してなくてよかったの。」

泰時「道家殿は鎌倉殿(三寅様のこと)のお父上。摂政は上皇様らが決めたことゆえ、一旦廃止にしたまでです。それより、新たな帝のことです。」

公経「後鳥羽法皇さんの血筋でないお方…」

道家「あの方しかおるまい…今はご出家の身だが…」

泰時「それは…?」

道家「守貞親王(もりさだしんのう)様、今の名は行助(ぎょうじょ)様。」

守貞親王(出家して行助)

守貞親王は後鳥羽法皇様の兄でありましたが、平家(へいけ)の元で養育された縁で平家の都落ちに伴っていました。

その間に弟である後鳥羽法皇様が皇位に付き、京に戻った時は皇位継承の望みは絶たれていたのです。


泰時「ご出家された行助様を帝に?」

公経「いや行助様には御子がおります。茂仁(とよひと)様です。」

道家「茂仁様はご出家されておらず、問題ありませんな。茂仁様を帝に、行助様を上皇と同じ位でいかがか?」

泰時「…ならば、公経殿と道家殿にお任せいたします。」


茂仁様は1221年7月に践祚、これが後堀河天皇(ごほりかわてんのう)様です。


後堀河天皇


コアラ行助さんは帝にならずに上皇さんとして院政を行なうことになったんだね。



幕府が皇位にまで口を出すことに恐れ多いことだと私は感じました。


泰時が皇位に口を出すのは、後々にも起こることになりますが…



忙しい泰時に私は呼び出されました。

竹子「兄上、お忙しい身で私に何か?」

泰時「そなたの今後のことだ。大江親広(おおえのちかひろ)と離縁して独り身ではいかぬであろう。」

コアラ竹子さんの夫だった親広さんは承久の乱で後鳥羽法皇さん方について行方知らずとなり、離縁したんだよ。


泰時「土御門定通(つちみかどさだみち)殿はどうだ?」

竹子「定通様…されど…御正室がおられるときいておりまする。」

泰時「定通殿とは助けてもらった縁もあろう。これは定通殿からの申し出でな。」


私は嬉しく思い、

竹子「定通殿の申し出ならば…わりました。」

泰時「土御門定通殿は土佐にお移りになった土御門上皇様とも縁がある。いずれ竹子がわしの力になってくる時もあるであろう。」


泰時が行った私が泰時の力になるのは現実となるのですが、それは後々のこと…




泰時は京で確固たる地位を築いていました。それは幕府が西国で権力を拡げるものでありました…。







つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜






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