諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1221年6月、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)様の義時(よしとき)追討の院宣を出した報せが鎌倉に入った頃、京は騒然としていました。
後鳥羽上皇様の元には西面武士(せいめんのぶし)、近隣の国の武士、在京の武士ら1,700騎ほどが集まっていたのです。
その中には有力御家人の近江守護・佐々木広綱(ささきひろつな)や検非違使の三浦胤義(みうらたねよし)がいました。
三浦胤義は三浦義村(みうらよしむら)の弟です。
さらに私の夫、大江親広(おおえのちかひろ)もいたのです。
集まった武士らを指揮していたのが西面武士の藤原秀康(ふじわらのひでやす)でした。
後鳥羽「秀康、首尾はどうだ?」
秀康「上々です。上皇様の命に反した伊賀光季(いがみつよし)は討ち果たしました。」
後鳥羽「朕の命に叛くものは討つのじゃ!」
秀康「上皇様の院宣に叛くものはおりませぬ。朝敵となった義時には千人も集まることはありませぬ。」
後鳥羽「鎌倉を討つのも容易いの〜」
その頃、館の奥に幽閉された私はただただ、事の成り行きを待つしかありませんでした。
そんな時…幽閉された部屋の外から声がしてきました。
「姫様…」
竹子「…誰です?」
「鎌倉の政子(まさこ)様の命で参りました。ひか…いや輝(てる)です。」
竹子「輝…確か政子様の忍びですね!」
輝が障子を開け、入ってきました。
輝「泰時様が竹子様のことを心配しており、政子様が私を京に遣わしたのです。」
竹子「兄上が…ところで外の状況はわかりませぬが…夫・親広は上皇様の元に参じたはず。」
輝「はい、親広殿を始め、在京の武士は上皇様に参じております。ここは危のうございます。逃げましょう!」
一方、鎌倉では院宣のことで武士たちに動揺が走っていたのです。
「上皇様が挙兵したのか?」
「義時殿を討てと命が出たそうだ」
「我らも朝敵になるのか?」
泰時は御所の政子様の元にいました。
政子「古来、朝敵になったものは滅んでいます。どうすれば…」
政子様も動揺していました。
泰時「亡き頼朝(よりとも)公も実朝(さねとも)公も朝廷を超える力を望んでいました。ここで我らの力を試す時ではありますまいか?」
政子「頼朝様…」
そこへ三浦義村が入ってきました…。
つづく…

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