白の執権 〜第114話 上皇に馳せ参じる武士〜 | 歴史を感じよう

歴史を感じよう

日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️




諸行無常の世の中…

我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。




1221年6月、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)様の義時(よしとき)追討の院宣を出した報せが鎌倉に入った頃、京は騒然としていました。



後鳥羽上皇様の元には西面武士(せいめんのぶし)、近隣の国の武士、在京の武士ら1,700騎ほどが集まっていたのです。


コアラ後鳥羽上皇さんは流鏑馬揃えを口実に諸国から武士を集めたんだよ。


その中には有力御家人の近江守護・佐々木広綱(ささきひろつな)や検非違使の三浦胤義(みうらたねよし)がいました。

三浦胤義は三浦義村(みうらよしむら)の弟です。


さらに私の夫、大江親広(おおえのちかひろ)もいたのです。


集まった武士らを指揮していたのが西面武士の藤原秀康(ふじわらのひでやす)でした。


後鳥羽「秀康、首尾はどうだ?」

秀康「上々です。上皇様の命に反した伊賀光季(いがみつよし)は討ち果たしました。」



伊賀光季は私の夫・親広と同じく京都守護でしたが後鳥羽上皇様の元には行かず、鎌倉に事の次第を報せたのです。


後鳥羽「朕の命に叛くものは討つのじゃ!」

秀康「上皇様の院宣に叛くものはおりませぬ。朝敵となった義時には千人も集まることはありませぬ。」

後鳥羽「鎌倉を討つのも容易いの〜」





その頃、館の奥に幽閉された私はただただ、事の成り行きを待つしかありませんでした。



そんな時…幽閉された部屋の外から声がしてきました。


「姫様…」

竹子「…誰です?」

「鎌倉の政子(まさこ)様の命で参りました。ひか…いや(てる)です。」

竹子「輝…確か政子様の忍びですね!」



輝が障子を開け、入ってきました。

輝「泰時様が竹子様のことを心配しており、政子様が私を京に遣わしたのです。」

竹子「兄上が…ところで外の状況はわかりませぬが…夫・親広は上皇様の元に参じたはず。」

輝「はい、親広殿を始め、在京の武士は上皇様に参じております。ここは危のうございます。逃げましょう!」



コアラ竹子さんは義時さんの娘。上皇さん側に渡ったら人質になってしまう可能性があるから逃げたんだね。






一方、鎌倉では院宣のことで武士たちに動揺が走っていたのです。


「上皇様が挙兵したのか?」
「義時殿を討てと命が出たそうだ」
「我らも朝敵になるのか?」






泰時は御所の政子様の元にいました。


政子「古来、朝敵になったものは滅んでいます。どうすれば…」


政子様も動揺していました。


泰時「亡き頼朝(よりとも)公も実朝(さねとも)公も朝廷を超える力を望んでいました。ここで我らの力を試す時ではありますまいか?」

政子「頼朝様…」


そこへ三浦義村が入ってきました…。





つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜




にほんブログ村 小説ブログ 歴史・時代小説へ
にほんブログ村
コアラ宜しければバナーをクリックしてね