諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
京の御所で後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)様に詰め寄るのは、帝であり御子の順徳天皇(じゅんとくてんのう)様でした。
順徳「父上、摂家の息子を鎌倉に取られ、いつまで好き勝手にさせておるのですか!?」
後鳥羽「これは帝。好きにさせておるわけではありませぬぞ。急いては事を仕損じる…ですぞ。」
順徳「されど、朕が調べたところによると、こちらの動きを察した京の武家が鎌倉と通じようとしてます。」
後鳥羽「誰だ、それは?」
順徳「源頼茂(みなもとのよりしげ)」
源頼茂さんは摂津源氏の流れの武家なんだ。源頼朝(みなもとのよりとも)さんとは違う別の源氏なんだよ。
1219年8月、後鳥羽上皇は西面武士(さいめんのぶし)に命じ、頼茂を襲撃したのです。
頼茂は応戦し抵抗したものの叶わず、館に火をかけ自害したのでした。
これを知った私は夫・大江親広(おおえのちかひろ)に鎌倉に報せるよう話ました。
竹子「殿、頼茂殿はなぜ西面武士に攻められたのですか?」
親広「後鳥羽上皇様が西面武士を指揮したそうだが…上皇様が言うには頼茂が将軍の座を狙っていたというのが理由だ。」
竹子「頼茂殿が将軍の座を?」
親広「…それは表向きで、実際は頼茂が朝廷の倒幕計画を知り、それを鎌倉に報せようとしたからだそうだ。」
竹子「倒幕!?」
親広「我らも危ういかもしれん…どうやって鎌倉に報せればよいのか…」
朝廷から鎌倉に頼茂が将軍の座を狙ったから殺害したと報せました。
私は真実を報せたいのですが、その方法を模索していました。
そんな時に私たちの館に密かに現れたのが政子(まさこ)様の忍び、輝(てる)でした。
竹子「輝、よく来てくれました。」
輝「京の様子を調べよと政子様が命じられました。」
私は頼茂殿のことを輝に話し鎌倉に報せるよう託しました。
輝に託した報せは輝より政子様の元へ届いたのです。
政子様は義時(よしとき)、大江広元(おおえのひろもと)、泰時を呼びました。
義時「朝廷は我らを倒す気とは…」
広元「…とはいえ、こちらから朝廷に対し戦を仕掛けることはできませぬ。」
泰時「後鳥羽上皇様…今までの鎌倉での災いにはあの方の影がちらついています。いずれはあちらから仕掛けてくるのでは…」
政子「もう少し様子を見ましょう…」
朝廷と幕府の危険な緊張が高まる中、1221年に朝廷で新たな動きがあったのです。
順徳天皇様が譲位をしたのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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