諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1218年秋になりました。
私は夫・大江親広(おおえのちかひろ)と共に京に滞在していました。
そして泰時の頼みで西面武士(せいめんのぶし)の動向を泰時の家臣・尾藤弥助(びとうやすけ)と共に見張っていました。
竹子「兄上が怪しいと思うのは藤原秀康(ふじわらのひでやす)…弥助、何かわかりましたか?」
弥助「秀康の父は和田合戦で滅びた和田の一族…」
竹子「まさか和田合戦が尾を引いている?」
弥助「いや、和田合戦と秀康は全く関係ありません。和田合戦が起きた時は秀康は京にいて、すでに上皇様に仕えていました。」
竹子「秀康と鎌倉にいる三浦の家臣・伊原光吉(いわらみつよし)は一体どんな関係があるのでしょう…兄上は目つきが似ていると言っているようですが…」
弥助「秀康には2人の弟がいて、2人とも西面武士…弟か……」
竹子「弥助、他に兄弟がいるかもしれません。調べてください。」
弥助「わかりました。では早速!」
一方、鎌倉…
10月に鎌倉殿…源実朝(みなもとのさねとも)様は朝廷より内大臣(ないだいじん)に任じられました。
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かつて鎌倉殿が「源氏の家名を上げる」と言ったとおりに官職が上がっていきました。
政子(まさこ)様や鎌倉殿の妻・信子(のぶこ)様は喜びました。
信子「母上様、我が夫が朝廷でも上位の内大臣になられるとは嬉しゅうございます。」
政子「後継ぎも上皇様の皇子、鎌倉もますます安泰ですね。」
しかし、御家人の中には官位の上がる鎌倉殿に疑念を抱くものもいました。
「鎌倉殿は朝廷のいいなりになるのか?」
「我らは武士、朝廷になぞ…」
泰時はそんな声を上げるものに
「鎌倉殿はそんなつもりはない。我ら武士の棟梁を信じられぬのか⁈」
と話をし、不満の声を消していったのです。
泰時には京で会った土御門上皇(つちみかどじょうこう)様の頼みを受けて争いの種を消していたのです。
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政子「泰時、不満のある御家人たちを抑えているとか…」
泰時「これも鎌倉のためです。」
政子「ところで…公暁(くぎょう)のことですが…」
泰時「公暁様はまた参籠しているようですが…」
政子「参籠三昧で、髪も下ろすことなく伸びて…あれでは僧には見えませぬ。」
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この公暁の様子に「何か企んでいるのでは?」と御家人たちの間では噂されていたのです。
政子「めでたい時に公暁は…」
そして12月になり、鎌倉殿は右大臣に昇進したのです…。
つづく…
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