諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1218年正月過ぎに京で政子(まさこ)様と藤原兼子(ふじわらのけんし)様の会談から1週間が経ちました。
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そして政子様と兼子様は再び会談を行いました。
その頃、泰時は自分を矢文で襲ったもののことを調べていました。
泰時『一体誰だ…まさか西面武士(せいめんのぶし)どもの誰かか…それとも…』
夕刻になり政子様が六波羅に帰ってきました。
泰時「叔母上、お帰りなさいませ。」
政子「泰時、後継ぎが決まりましたよ。」
泰時「それは、叔母上のお望みどおりで?」
政子「後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)様の皇子、頼仁親王(よりひとしんのう)様です。」
泰時「それは素晴らしい!これでどの御家人も納得するでしょう。」
政子「ええ、鎌倉にお迎えしたら立派な将軍となってもらいましょう。泰時、そなたの力が頼りですよ。」
そう言う政子様は厳しい表情をしていました。
政子「泰時…久しぶりに京に来て…公家の華美贅沢な暮らしを見て怒りを感じます。」
泰時「華美贅沢…確かに公家たちはそのようなものばかりですね。」
政子「亡き頼朝(よりとも)公は質素倹約を旨とし御家人たちも質素倹約を徹底するようになりました。それが政を行うものの姿だと思うからです。」
泰時「鎌倉の武士は皆、質素倹約を守っております。」
政子「公家の中には我らの政を面白くなく思っているものもいるようですが…我らがしっかり政を行ない、公家に渡してはなりませぬ!」
泰時「そのためにも後継ぎとなる親王様にも質素倹約を旨としてもらわなければなりませぬな。」
政子様にはそれほど公家の生活ぶりがあまりにも酷く感じたのです。
その後、政子様や泰時は鎌倉に向けて京を後にしました。
私は夫、大江親広(おおえのちかひろ)とともに京に残りました。
その鎌倉では公暁(くぎょう)が実朝様の命で千日参籠を行なっていました。
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その御堂に忍び込み、公暁に語りかけるものがいました。
「いつ殺すのだ…」
つづく…
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