諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
泰時は三浦義村(みうらよしむら)の家臣・伊原光吉(いはらみつよし)のことが気になり、義村の娘で泰時と離縁した優子(ゆうこ)に密かに会いました。
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泰時「光吉のことだか…」
優子「光吉は確か私と泰時様が婚儀をした頃に三浦の家に仕えるようになった…と思います。」
泰時「気になるのは京から来たことだが、素性はわからぬか?」
優子「京では公家に仕える武士だったと聞いてます。…そんなに怪しいのですか?」
泰時「うむ…まだわからぬがあの目つき、只者ではない感じを受けたのだ。」
泰時はこのことを優子だけに話し、優子も光吉について調べることを約束したのです。
1215年に鎌倉に臨済宗の開祖・栄西(えいさい)がやってきました。
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将軍・源実朝(みなもとのさねとも)様は栄西から『喫茶養生記(きっさようじょうき)』を献上されました。
実朝「茶は身体に良いとは聞いていたが、これには茶の栽培や養生が書いてある。皆にも拡めようぞ」
栄西「これは有難いことです。ところで鎌倉殿(実朝様のこと)は和歌に夢中だとか…」
実朝「お聞きでごさいますか。和歌を詠んでいると心が落ち着きます。弓矢よりそちらの方が向いているようです。」
栄西「いずれ上洛されてみてはいかがですか?京には和歌好きの方々がたくさんおられますから。」
実朝「いずれそうしたいものだ…」
この頃、幕府の政務は北条義時(ほうじょうよしとき)がほぼ仕切り、実朝様の出る幕はない状態でした。
翌年、栄西が亡くなりましたが、実朝様は我が夫・大江親広(おおえのちかひろ)を代理として上洛されていました。
親広は実朝様から寺社奉行として重用されていたのです。
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1216年、政子様は1人の姫を実朝様に目通りさせました。
実朝「兄上の…美しくなられましたな。」
政子「14歳になりました。美子を鎌倉殿の猶子にしてほしいのです。」
実朝「私の猶子に?」
政子「今後、美子もどこかの家に嫁ぎます。鎌倉殿の子となれば格が違いますからね。」
実朝「わかりました。妻も喜ぶと思います。」
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同年、実朝様はとんでもないことをしようとしたのです。
それは宋の僧侶・陳和卿(ちんわけい)に会ったことに始まります…。
つづく…
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