諸行無常の世の中…
我は北条泰時(ほうじょうやすとき)が妹、竹子(たけこ)です。
1213年も夏を迎えました。
京では…
後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)様は相変わらず和歌に夢中になっていました。
そこには上皇様の乳母として権力を握っている藤原兼子(ふじわらのけんし)もいました。
兼子さんは典侍(ないしのすけ)っていう官職にもなってたから権力があったんだね。
後鳥羽「兼子、鎌倉では戦があったそうではないか」
兼子「はい、和田(わだ)の一族の謀反でありましたが、将軍の軍が治めたそうにございますよ。」
後鳥羽「そうか、将軍が勝ったか…しかし将軍の源実朝(みなもとのさねとも)は和歌好き。戦とは似合わぬことよの。」
兼子「幕府を実質仕切っているのは北条にございますからね。」
後鳥羽「まったく、東夷(あずまえびす)の一族が幕府を仕切るとは……」
東夷って京の人が東国の武士をそう呼ぶんだよ。皮肉を込めた感じだね。
そこへ1人の男がきました。
男「…戻りました。」
後鳥羽「影か…首尾はどうであった?」
男「滞りなく終わりました。」
後鳥羽「うむ…下がってよい。」
男はその場から下がりました。
兼子「上皇様、今のは?」
後鳥羽「兼子は知らずともよい。いずれ話す。」
兼子は冷たいものを感じました。
一方、鎌倉では和田合戦の後、戦で荒れた街の再建が進んでいました。
泰時は御所の再建に加わっていました。
そこへ泰時の家臣、尾藤弥助(びとうやすけ)がやってきました。
弥助「殿、ただいま陸奥から戻りました。」
泰時「ご苦労であった。…で何かわかったか?」
泰時は弥助を和田義盛(わだよしもり)の甥で陸奥国に流罪となっていた和田胤長(わだたねなが)に会いに行かせていたのです。
和田一族はことごとく滅び、胤長も処刑が決まったのです。
泰時「胤長に会って聞きたいことがあって、そなたを送ったのだか…処刑されてしまったか?」
弥助「それが……胤長は処刑の前に死んでしまったのです。」
泰時「何⁉︎ それは…病か?それとも…」
弥助「それがしが見たところ…毒殺ではないかと…」
弥助「わかりませぬ…処刑するのですから幕府の人間ではないことは確かです。」
泰時「胤長に死んでもらわねばならぬ用件がある人物がいるということか…」
泰時はきな臭いものを感じていました。
和田合戦の後も源実朝様は相変わらず和歌の世界に没頭していました。
それに頭を抱えていたのが政子(まさこ)様だったのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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