白の執権 こぼれ話② | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

今回は歴史連載物語「白の執権」のこぼれ話、その②です。


コアラ本編はこちらだよ⬇️




1205年、北条時政(ほうじょうときまさ)の謀略によって畠山重忠(はたけやましげただ)は亡くなりました。

畠山重忠


コアラ重忠さんは源頼朝(みなもとのよりとも)さんに仕えて数々の戦で活躍したんだよ。戦で常に先陣を務めてるほど頼朝さんから信頼されていたんだね。



畠山重忠の畠山氏は桓武平氏(かんむへいし)の流れを組む秩父氏(ちちぶし)の一族でした。


※画像はお借りしました



つまり畠山重忠は平氏姓の畠山氏。


重忠が亡くなり畠山氏は滅びました。重忠の正室は北条時政の娘でした。

この時政の娘が重忠が亡くなった後、源氏の一族・足利氏(あしかがし)の足利義兼(あしかがよしかね)の長子、足利義純(あしかがよしずみ)に嫁いだのです。

そして、足利義純は畠山氏の名跡を継いだのです。


コアラつまりこうだね⬇️


※画像はお借りしました。



ここから畠山氏は源氏姓の畠山氏となりました。


この源氏姓畠山氏は足利氏の一族として室町時代では管領職を務めました。

コアラ室町時代の畠山っていうと応仁の乱(おうにんのらん)で争った畠山義就(はたけやまよしなり)と畠山政長(はたけやままさなが)がいるね。

畠山義就



平氏姓だったのに源氏姓に変わった例ですね。


源氏姓畠山氏の初代の義純は足利義兼の長子だったにもかかわらず足利氏は継ぎませんでした。

足利義兼


足利氏を継いだのは義兼の三男、足利義氏(あしかがよしうじ)。

この時代、長子が必ずしも跡継ぎではありませんでした。


足利義氏の場合、母が北条時政の娘、時子(ときこ)だったのです。

コアラハッえっ!義純さんも時政さんの娘を妻にしたよね…義純さんのお父さんも時政さんの娘…いったい…



足利氏は鎌倉時代を通じて北条氏からの娘を正室とし、その間に男子が生まれれば跡継ぎにしていました。


足利氏は北条氏と結び、他の御家人が滅びゆく中、鎌倉時代を生き抜きましたね。 



コアラそうかぁ、こちらはかつて、えいたろうは書いた「生き抜く足利」の目次⬇️ よかったら見てね。



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