世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1569年9月、武田信玄(たけだしんげん)率いる武田軍は武蔵国に侵入してきました。
信玄の最初の狙いは鉢形城(はちがたじょう)でした。
鉢形城を守るは我が四男・氏邦(うじくに)です。
信玄は鉢形城を包囲します。
わしは綱成(つなしげ)と策を練り、全ての城に籠城するように命じました。
綱成「信玄の狙いは大殿。大殿を小田原城(おだわらじょう)から出し決戦を挑みたいのです。」
氏康「では我が領地の城には籠城するように命じよう。カメのように甲羅に入る策じゃ。」
鉢形城を包囲して、わしが援軍に来ることを期待した信玄は援軍の気配がないと判断し、包囲を解き南下していきます。
武田軍の次なる標的は滝山城(たきやまじょう)。
滝山城を守るは我が三男・氏照(うじてる)です。
武田軍は本隊の他に別働隊の小山田信茂(おやまだのぶしげ)がいました。
その小山田軍が小仏峠から滝山城の南西側を攻めてきたのです。
南西側から攻めてくることを予想していなかった氏照は1部の兵を出しましたが小山田軍に敗退。
さらには北には武田本隊が陣を敷いており、滝山城は落城寸前になりました。
しかし…信玄は滝山城を落とすことなく、軍勢を南下させたのです。
信玄「わしの狙いは氏康。氏康の子ではないのだ。」
武田軍は南下し、10月、ついに小田原城に姿を現しました。
迎え撃つ我が軍は小田原城に籠城しました。
かつて上杉輝虎(うえすぎてるとら)が10万の軍勢で小田原城を包囲しましたが、此度の武田軍は2万。
わしは籠城で持ちこたえる自信があったのです。
籠城3日目、武田軍から大声での呼びかけが聞こえてきました。
「相模の塩商人!出てこい!」
塩商人、武田は綱成を呼んでいたのです…。
つづく…
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