世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1561年3月、長尾景虎(ながおかげとら)は鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)にて関東管領職就任式を行い、関東管領職に付き、また上杉憲政(うえすぎのりまさ)から上杉氏の家督を譲り受け、上杉政虎(うえすぎまさとら)と改名しました。
鶴岡八幡宮
政虎が鎌倉に留まった夜、政虎の元に忍びから報せが入りました。
それは綱成(つなしげ)からの誘いでした。
政虎「綱成が近くにいると…。」
政虎は疑いもなく、その場所に行きました。そこには綱成と忍びの美咲(みさき)がいました。
政虎「いつぞやはわしがそなたを誘ったが、此度は逆だな。」
綱成「来て頂き御礼申し上げます。1度、政虎殿と飲みたくて…。先日は殴り合いで飲む機会を失いましたから…。」
政虎「ふっ、お互い傷だらけではあるが…頂こう。」
2人は戦い、殴り合い、お互いを領地も家も関係なく、1人の男として認めあったのです。
綱成も政虎も言葉は発せず、ただ酒を飲み交わしていました。
綱成「ではそろそろ…。」
政虎「うむ。今宵はいい夜であった。」
綱成「また戦い、交わしたいものです。」
政虎「機会があればな。」
政虎は去って行きました。
美咲「殿、この後、政虎殿はどうするのでしょう?」
綱成「政虎殿は越後へ戻るはずだ。」
美咲「小田原城には攻めてきませんか?」
綱成「武田(たけだ)がまた北信濃に進出しておる。政虎も放っておけんだろ。」
綱成の言葉どおり、政虎率いる軍は越後へ帰って行きました。
この戦いは「小田原城の戦い」と言われてます。
小田原城を始め、玉縄城(たまなわじょう)、河越城(かわごえじょう)、滝山城(たきやまじょう)、江戸城(えどじょう)等々の我が北条の城は政虎の攻めに耐え切ったのです。
越後に戻った政虎は陣を立て直し、北信濃に進出してきた武田信玄(たけだしんげん)と再び川中島(かわなかじま)で戦いました。
我が北条は政虎方に付いた関東の諸将の攻略に力を注ぎました。
その中でしばらく影を潜めていた暗殺者が再び動き出していたのです…。
つづく…
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