八幡の武将【こぼれ話②】 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

いつも当ブログの歴史連載物語「八幡の武将」をご覧になって頂き、誠にありがとうございます。


コアラみんなぁ〜、いつもありがとう。今回は「こぼれ話」その②だよ。「八幡の武将」の今までの目次はこれだよ⬇️





1560年、関東では長尾景虎(ながおかげとら)が小田原北条氏(おだわらほうじょうし)を攻める小田原城の戦いが起きています。

コアラうん。これは「八幡の武将」で進行中だね。他の地域ではどうなの?



1556年、美濃国ではマムシと言われた斎藤道三(さいとうどうさん)が子の斎藤義龍(さいとうよしたつ)に叛かれ、討たれました。

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斎藤道三


これが「長良川の戦い(ながらがわのたたかい)です。


コアラちなみに道三さんの娘・帰蝶(きちょう)さんは織田信長(おだのぶなが)さんの正室なんだよ。




1551年、周防山口の大内義隆(おおうちよしたか)が家臣の陶隆房(すえたかふさ)の謀反により長門の大寧寺(たいねいじ)で自害しました。

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大内義隆

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大寧寺の大内義隆主従の墓所



義隆を討った陶隆房は義隆の甥・大内義長(おおうちよしなが)を傀儡として掲げ、大内氏の実権を握りました。

コアラ隆房さんは改名して陶晴賢(すえはるかた)になったんだよ。




1555年、晴賢は大内氏と決別した安芸国の毛利元就(もうりもとなり)を攻めました。

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毛利元就


コアラ元就さんは「三本の矢」で有名だね。

元就は兵3000〜4000でしたが安芸国の厳島(いつくしま)に晴賢の兵20000〜30000を誘い込み、奇襲で晴賢を討ったのです。

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厳島の厳島神社

これが「厳島の戦い」です。

元就は大内義長も討ち、周防山口を治め勢力を伸ばしました。




1560年、「八幡の武将」の本編で触れましたが尾張国の織田信長(おだのぶなが)が駿河国の今川義元(いまがわよしもと)を奇襲で討った「桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)が起きています。

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織田信長

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桶狭間の戦い

コアラ桶狭間の戦い、厳島の戦い、そして「八幡の武将」に描いた河越城の戦い日本三大奇襲戦と言われてるよ。




桶狭間の戦いの後、それまで今川の人質であった松平元康(まつだいらもとやす)は岡崎城(おかざきじょう)に入り、今川氏から離れ、戦国大名の道を歩み始めました。

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松平元康は大河ドラマ「おんな城主 直虎」にも出てきましたね。


コアラこの松平元康さんが後の徳川家康(とくがわいえやす)さんだよ。




子が親を、家臣が主君を、少数が多数を討つ…まさに下剋上(げこくじょう)ですね。




さて「八幡の武将」の次回は小田原城の戦いの後を描きます。


コアラ明日以降だね。みんなぁ、お楽しみに〜









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