世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1558年、わしは常陸国、下野国侵攻の北条軍の大将に綱成(つなしげ)を任命しました。
綱成は常陸国の佐竹氏(さたけし)に対抗する為、白河結城氏(しらかわゆうきし)の結城晴綱(ゆうきはるつな)や陸奥国の蘆名盛氏(あしなもりうじ)と同盟を結ぶ外交の力を発揮していました。
蘆名盛氏さんの正室は伊達稙宗(だてたねむね)さんの娘なんだよ。稙宗さんのひ孫が伊達政宗(だてまさむね)さんだよ。
綱成は忍びを放って各方面を調べていたのです。
忍びの美郎(よしろう)はもちろん、美咲(みさき)も活躍していました。
美郎「下野方面は越後の軍が侵攻しています。」
綱成「越後…長尾景虎(ながおかげとら)が来ておるか。」
美郎「小山(おやま)や宇都宮(うつのみや)が対抗しています。ところで殿…ここのところ、陽の強うございます。雨が少なく感じるのですが…。」
綱成「…うむ、何かの異変か…?」
梅雨の時期にもかかわらず、雨が少なく、夏に入ってから陽射しの強い日が続き、干上がる田畑もありました。
これでは作物が育たなくなるよ〜
作物は育たず凶作となり、さらに秋には暴風雨に何度も襲われたのです。
北条の領内は疫病が流行り、亡くなる者が増えていったのです。
わしは領内各地に食料の配布と医師を派遣し対応しましたが、それでも追いつかなかったのです。
東日本を襲った飢饉を「永禄の飢饉(えいろくのききん)」っていうんだよ。
綱成「こんな災害は初めてだ…。」
美郎「殿!御館様から文が参っております。」
綱成はわしからの書状を読み、驚きました。
綱成「……御館様が隠居するとおしゃっておる。」
わしは隠居することに決めたのです…。
つづく…
次回をお楽しみに〜
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