八幡の武将 〜援軍の綱成〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️



世は群雄割拠の戦国時代

わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。



1557年の春、小田原城(おだわらじょう)に武田(たけだし)からの使者が来たました。

わしは使者から武田晴信(たけだはるのぶ)の書状を渡されました。


コアラ武田と北条は今川氏(いまがわし)も含めて三国同盟の関係にあったんだよ。



その場には家臣の清水吉政(しみずよしまさ)もいました。

吉政「御館様、晴信殿はなんと?」

氏康「援軍の要請じゃ。武田は今、川中島(かわなかじま)周辺で越後の長尾景虎(ながおかげとら)と戦っておる。」

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景虎じゃ。武田は和議を一方的に破り、我が越後の国衆に調略の手を伸ばしておる。卑怯なり、晴信!!


武田の使者「越後の軍勢は北信濃の武田の諸城を次々と落としておりまする。ぜひ同盟の北条様に援軍を賜りたいと我が主人の願いです。」

氏康「…うむ。晴信殿には了解したと伝えてくれ。直ちに兵を送ると。」

武田の使者「ありがとうごさります。では早速立ち戻り、我が主人に伝えます。」



武田の使者は意気揚々と帰っていきました。

吉政「御館様、援軍とは誰を大将に送るのですか?」

氏康「決まっておる。綱成(つなしげ)が此度の北条の大将じゃ。綱成に景虎を見てきてほしいのだ。」

吉政「綱成殿に?」

氏康「うむ。此度の戦いで景虎が生き延びれば、いずれは我が北条と戦うことになるだろう。それに備えておくのだ。」



わしは河越城(かわごえじょう)にいる綱成に使いとして小太郎(こたろう)を出しました。


小太郎から援軍の命を聞いた綱成は、

綱成「援軍の命、承った。」

小太郎「越後の軍勢の動きをよく見てくるようにと御館様の命です。」

綱成「うむ。御館様の意図はわかっておる。自らを毘沙門天(びしゃもんてん)の化身という景虎をこの目で見れるのだから、これは好機だな。」

小太郎「私は地黄八幡(じきはちまん)の綱成様との戦いを見てみたいですが…。」

綱成「ふふっ、此度は援軍だ。しかし生き延びれば、いずれはその時も来るだろう。」


コアラ綱成さんは八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)を崇拝しているんだよね。地黄八幡は直八幡、つまり自らをら八幡の直流だってアピールなんだよ。


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八幡神



綱成は里見氏(さとみし)の抑えとして、自らの長男、康成(やすしげ)を置いていきました。





1557年4月より長尾景虎は善光寺平(ぜんこうじたいら)に本陣を置き、武田の諸城を落としていたのです。

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善光寺平(現在の長野県長野市を中心とした長野盆地)




6月、綱成率いる北条軍は信濃国の上田に着陣したのです…。








つづく…
コアラ次回をお楽しみに〜












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