世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
1549年、我が北条の領地は地震が起き凶作となり、税が払えない民が田畑から逃げる国中諸郡退転(こくちゅうしょぐんたいてん)という状況になったのです。
そんな中、小田原城(おだわらじょう)に綱成(つなしげ)を呼びました。
これは我が叔父の長綱(ながつな)の命だったのです。
長綱「御館様、我が父・早雲が常に言っていたことを覚えていますか?」
氏康「……”民を何よりも大事にせよ”、我が父・氏綱(うじつな)もよく言っていました。」
長綱「そうです。確かに御館様が北条の当主となって今川(いまがわ)や上杉(うえすぎ)との戦に追われました。しかし、忙しい状況であるとはいえ、民を後回しにされたのですぞ。」
氏康「…言い返す言葉もない。父が言っていた”勝って兜の緒を締めよ”はまさしくこのことだった。」
長綱「わかって頂ければよいのです。ご無礼はお許しください。」
氏康「無礼などではない。叔父上はわしに叱咤激励をしてくれたのだから、わしが礼を言わねばならん。」
長綱「このことは綱成も心に留め置くのだ。そなたは氏綱公が目に掛けた武将。そなたが御館様を支えねばならぬぞ!」
綱成「はっ!この綱成、どこかで驕りがありました。長綱様の言われたお言葉、この胸に留め置きます。」
その後、わしは税制改革を行ない、さらに徳政令を出したのです。
発令後、民が田畑に戻ってきたのです。
「税を軽くして、これで働きやすくなるなぁ」
「質に出してた娘を戻ってきたわ」
「やはり北条の御館様はわしらのことを考えてくたさる。」
「わしらの御館様は北条様じゃの〜」
わしはまずは安心しました。綱成は玉縄城(たまなわじょう)に帰りましたが、
綱成「御館様、戦は我にお任せくだされ。私が先陣を切って戦います!」
と言い残していました。
その頃、玉縄城では…
「ちっ!所詮、百姓は役に立たぬ。やはりあの手しかないか…」
ある者がそう呟くのを綱成付きの忍び・美郎(よしろう)は聞いていたのです。
1550年、我が北条はさらなる戦に進んでいくのです。
その相手は山内上杉家(やまのうちうえすぎけ)でした…。
つづく…
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