世は群雄割拠の戦国時代。
わしは北条氏康(ほうじょううじやす)です。
小田原に落ち延びてきた駿府国の今川氏(いまがわし)の家臣・福島正成(くしままさしげ)の子・勝千代(かつちよ)と弁千代(べんちよ)の兄弟を我が父・北条氏綱(ほうじょううじつな)は保護したのです。
勝千代は小田原まで自らを守り連れて来て、その後亡くなった家臣の浅田三郎(あさださぶろう)を手厚く葬りました。
勝千代「三郎…我は強くなるぞ。」
その姿を見た氏綱は勝千代を幼いながら自らの小姓としたのです。
氏綱「勝千代は見どころがある。成長すれば北条氏を支える武将になるであろう。我が子に仕える優れた家臣にな。」
氏綱の言うところの我が子がわしなのです。
この頃、わしはまだ6歳で伊豆千代丸(いずちよまる)と名乗っていました。
氏綱はわしと勝千代、弁千代を目合わせてくれました。
氏綱「伊豆千代丸、駿河から来た勝千代と弁千代じゃ。勝千代はそなたと同い年。仲良くするのじゃぞ。」
勝千代「お初にお目にかかります。勝千代にございます。」
伊豆千代丸「…伊豆千代丸じゃ。」
勝千代は覇気のあり、それが氏綱に気に入られたのだと思います。
この頃のわしは勝千代に対し嫉妬を感じていたのかもしれません。
この1521年、氏綱は小田原北条氏の祖、早雲(そううん)公の遺言により箱根に早雲寺(そううんじ)を建立したのです。
この年には甲斐国では後に我が北条氏に関わりのある重要な人物が誕生していたのです。
それは幼名を太郎(たろう)、後の武田信玄(たけだしんげん)です…。
つづく…


