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これから外伝を少々語りたいと思います。
北条早雲(ほうじょうそううん)が戦国大名になるきっかけとなったのが駿河国の今川氏(いまがわし)の家督争いを調停したことでした。
早雲さんの妹・北川殿(きたがわどの)、本編では桃(もも)が今川氏に嫁いでいたんだよね。桃ちゃんの子が今川氏親(いまがわうじちか)さんだね。
北条氏と今川氏の関係は良好でした。
1505年、氏親は京の公家・中御門宣胤(なかみかどのぶたね)の娘を正室に迎えました。
この正室が後の寿桂尼(じゅけいに)です。
1513年に氏親と寿桂尼の間に氏輝(うじてる)が誕生しています。
1519年に早雲が亡くなり、北条氏は氏綱(うじつな)が後を継ぎました。
今川氏と北条氏は同盟関係で良好は続きます。
この頃、今川氏、北条氏は甲斐国の武田信虎(たけだのぶとら)と対立していました。
信虎さんは武田信玄(たけだしんげん)のお父さんだよ。
この武田氏は北条氏の敵・扇谷上杉家(おうぎがやつうえすぎけ)と友好関係だったのです。
つまり…
今川氏・北条氏
対
扇谷上杉家・武田氏
こんな関係だったんだね。
1526年、今川氏親が亡くなります。後を継いだのはまだ14歳の氏輝でした…。
つづく…。