今回は足利義満の子です。
「俺らは義満の子」では義満の子として義持、義教、義嗣、そして入江殿聖仙(本編では智子)が登場しました。
これ以外にも義満にはたくさんの子がいます。
その中で尊満という子がいます。
母は加賀局で義満の手がついた時は人妻でした。
尊満は義満の長子でありながら嫡男とは扱われません。母の身分が低かったからですね。
尊満は出家し最初は青蓮院、後に香厳院に入りました。
香厳院で禅宗に帰依し友山清師と号しました。
義持が亡くなり後継ぎを決める候補に尊満は外されました。
ここでも母の身分が低いことで候補から外されたんですね。
1441年に義教が赤松満祐に殺害された「嘉吉の乱」では他の義満の子らと共に鹿苑院に身柄を移されました。
幕府が赤松氏あるいは野心を持つ他の守護大名に擁立されるのを恐れたからです。
尊満の記録は1441年が最後で、いつ亡くなったのかもわかりません。
異母弟の義持や義教より長生きし、政にも巻き込まれることがなく、ある意味幸せだったと思います。

