俺らは義満の子 〜准母〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

前回まではこちら⬇️


私、足利義満の娘・智子です。


1405年に入り兄・義持や私の養母であり父の正室の日野業子様が体調を崩して伏せってしまいました。


私は業子様を見舞いに室町御所に行きました。

義持も同席して業子様と話をします。

私「業子様…」

業子「智子…来てくれたのですね。義持殿も一緒に…。私は幸せものですね。」

義持「こちらこそ幸せものです。業子様に育てて頂き、妻とも会わせて頂きました。全ては業子様のおかげです。」

業子「義持殿…義満様は更に上を目指しているようです。この先、辛いことがあっても耐えるのですよ。」

義持「母上…」

業子「母と呼んでくれましたね。ありがとう…義持殿、智子を守ってやってくださいね。」


私はまだ幼少でしたが…涙が溢れきました。

コアラアセアセアセアセ


そして1405年8月、業子様は亡くなりました。






正室の業子様に先立たれた父は新たに正室を迎えます。

それは業子様の姪の日野康子様でした。

コアラ日野康子さん!康子さんの妹は義持さんの正室・日野栄子さんだよ。


康子様は業子様が亡くなる以前から父に仕え父の居る北山第に入っていたようです。

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北山第です。金閣も入っていますよ。




1406年、康子様は後小松天皇様の准母になりました。

コアラ准母って天皇さんの母でない女性が母と擬されることで天皇さんの生母と同じ地位なんだよ。



後小松天皇様の生母の藤原厳子様が亡くなり、先にはお父上様の後円融天皇様も亡くされておりました。

父は後小松天皇ご即位後、1代のうちに諒闇を2度経験することは不吉なので准母を立て、それを避けようと主張したのです。

コアラ諒闇って天皇さんが父母を亡くし喪に服する期間のことなんだ。


義持「自らの妻を帝の准母に立てるとは…。父は何をしたいのだ?」






義持は父の真意を測りかねていました。

そこへ父からの酒宴の招きがあり、義持は北山第に訪れました。


酒宴では世阿弥猿楽が披露されていました。

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つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ