私、足利尊氏の妻・登子です。
1348年高師直、師泰は河内国四條畷で楠木正行殿を討ちました。
その勢いのまま、師直らは南朝の本拠・吉野に攻め込みました。
そして吉野山の行宮、寺院を焼き払いました。吉野山一帯は灰塵に帰したといいます。
南朝の後村上天皇様は賀名生(奈良県五條市)に逃れました。
夫も師直の行動に驚いた様子てした。
「勝ち戦とはいえ行宮まで焼き払うとは…。」
夫以上に驚いたのが幕府の政務を預かる直義殿です。
傍若無人に振る舞う師直だけでなく、朝廷の権威を蔑ろにする武士のために朝廷との間を調整する直義殿の苦労は絶えませんでした。
直義殿は、
「これ以上、師直らの増長を止めねば…。我が意を汲んだものが南朝との戦で勝たねばならん。」
と思っていました。
しかし、直義派の細川顕氏殿や山名時氏殿は先の楠木正行殿の戦で負けていました。
そこで直義殿は養子である直冬の出陣させようと考えました。
直冬出陣となれば直冬にとって初陣となるのです。
直義殿は夫と私に直冬出陣を進言してきました。
直義「楠木に勝ったとはいえ、南朝方が紀伊国を始め、各地で暴れております。」
夫「確かにこの驚異は放ってはおけない状況だな。ここで誰を出陣させるかの話か?」
直義「はい。ここは直冬を大将に出陣させたいと思います。」
夫「なに⁉︎ 直冬を大将にか⁉︎」
夫は直義殿に嫌悪感を見せました…
つづく…
