私、足利尊氏の妻・登子です。
又若改め直冬のことが発覚した時期、幕府ではばさら大名と呼ばれる方々が起こす問題に追われていました。
いつも派手な装いの佐々木道誉様は1340年、妙法院門跡の御所を焼き討ちにしました。
事の重大さに朝廷は道誉様の処罰を出羽へ流罪と幕府へ求めましたが幕府は拒否し、道誉様は上総に流罪となります。
道誉様は上総へ配流される時、100人の若衆を連れ派手な行列で向かいました。
さらにもう1人、美濃国の大名・土岐頼遠様はもっと大変なことを起こしました。
頼遠様は南朝との戦いで活躍し武功を上げていましたが奢り高ぶる行為が多かったのです。
1342年、酒に酔っていた頼遠様は道で出会った光厳上皇様の牛車に矢を射るという狼藉を働きました。
これを知った直義殿は激怒し頼遠様を捕らえ処刑しました。
幕府を仕切っていた直義殿は夫を征夷大将軍に任命してくれた光厳上皇様を蔑ろにする行為は幕府自体の権威を否定することと考えて処刑にしたようです。
こんなばさら大名の行為に頭を痛めていたのは直義殿でした。
そして、足利家の執事・高師直もばさらな行為をする1人です。
その師直と直義殿がもめていき、私も巻き込まれて…いや全てを巻き込んでいくのです。
つづく…

