私、足利尊氏の妻・登子です。
北畠顕家様の死から2ヶ月ほど経ったある日のこと、夫と私の元へ執事の高師直が慌てて入ってきました。
師直「殿!北陸より報せが入りましたぞ!」
夫「どうした?そんなに慌てて。」
師直「我が足利勢が新田義貞を討ち取りましたぞ!」
夫「なにっ!義貞が死んだと⁈」
報せによると義貞様は足利勢が籠る藤島城に僅か50騎を率いて向かう途中、足利勢の斯波軍300騎と遭遇し乱戦となります。
矢も楯も持っていなかった義貞様らは斯波軍の矢の乱射の的となり、義貞様は落馬、水田のぬかるみに落ち、ようやく立ち上がったところ、飛んできた矢が眉間に刺さります。
もはやこれまでと悟った義貞様は自らの首を太刀で掻っ切り自害されました。
夫「なんとあっけないのじゃ…。大将たるものの死に様とは思えぬ。」
師直「首は斯波高経殿が確認し、新田義貞に間違いないとのことです。」
夫「…師直、皆で祝おう。祝いの酒を用意致せ。」
師直「はっ!早速に。」
喜ぶ師直とは対称的に夫はどこか寂しげな様子です。
夫「登子…哀れじゃの。」
私「哀れ?義貞様のことですか?」
夫「うむ。我らと共にしておればこんなことにはならずに守護になっていたものを…。」
私「足利がいなければ義貞様はここまで大きくはなりますまい。誠に哀れですね。」
新田義貞様が亡くなった後、夫は光明天皇様から征夷大将軍に任じられました。
弟の直義殿は左兵衛督に任じられています。朝廷としては実際に幕府の政務を行っている直義殿を無視できなかったのです。
後醍醐天皇様の南朝は北畠顕家様、新田義貞様の相次ぐ討死で弱体していきます。
そして翌1339年、後醍醐天皇様は病に侵され死の床についていました…。
つづく…
※当連載「私の夫は優柔不断」が天照帝さんのブログで紹介されました。
こちら⬇️
「私の夫は優柔不断」にも出てきました護良親王の寵姫南御方を描いた物語です。そちらも読んでみてくださいね。

