私の夫は優柔不断 〜南北朝〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私、足利尊氏の妻・登子です。

1336年の暮れに後醍醐上皇様が幽閉先から居なくなりました。

夫の弟の直義殿は、

直義「兄上、申し訳ありません!早速、京・畿内一帯を探させます。」

と焦っておりました。

しかし、夫は焦る様子もなく、

夫「一体どこへ行ったのかのう?直義、よく探すのじゃ。」

と相変わらず直義殿任せでした。



私は後醍醐上皇様にはお会いしておりません。というよりお会いする気にはなれませんでした。

自らの欲のみで護良親王様を排除し忠義を尽くした楠木正成様を死地へ追いやったことが許せなかったのです。



しかし、夫は恩義に感じているようでした。

コアラ尊氏さんは後醍醐天皇さんから名前を一字頂いているよね。天皇さんから名前を頂くなんて名誉なことだからね。



その後醍醐上皇様は吉野(奈良県吉野郡吉野町)に逃れていました。

そして、自らは天皇であると宣言したのです。

後醍醐天皇「京の光明に渡した三種の神器は偽物だ。本物は朕が持っておる。朕は天皇の位を譲ってはおらん。正統な帝なのだ。」

と吉野に自ら主宰する朝廷を開いたのです。


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朕が後醍醐天皇である。朕は諦めんぞ!


これで京の朝廷を北朝、吉野の朝廷は南朝と2つの朝廷が並立する南北朝時代に入りました。

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吉野の朝廷趾



夫「う~ん。難しい世になってきた…。」

私「殿、この先いかがなされるのですか?これでは戦は激しくなります。」

夫「やるしかあるまい。」


既に後醍醐天皇様は北陸に行った新田義貞様、奥州の北畠顕家様らに足利を討伐して京奪還を命じておりました。


夫はこれらを抑えるために戦いました。この戦いで活躍したのが執事の高師直と師直の兄・師泰でした…







つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ