私の夫は優柔不断 〜鎌倉復旧へ〜 | 歴史を感じよう

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日本史について感じたこと、調べたことを連載形式で書いていきます。また、神社やお寺、史跡巡りしたこと、プロレスについても書いていきます。わが愛犬てんのことも語っていきます。そして…「オイラ、えいたろうの相棒のコアラだよ。是非読んでね。」

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私、足利高氏の妻・登子です。

1333年、北条高時様は自害し北条氏は滅びました。

鎌倉を陥落をさせた新田義貞様は鎌倉の勝長寿院に入りました。

そして私の息子・千寿王は家臣とともに永福寺に入りました。

コアラ勝長寿院、永福寺は鶴岡八幡宮とともに当時の鎌倉三大寺社だったんだよ。

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永福寺跡 1405年の火災の後に廃絶となりました。


私は千寿王に早く会いたくて鎌倉へ急ぎました。

鎌倉へ向かう途中、悲しい報せを聞きました。

千寿王の異母兄で夫の長男・竹若丸様が亡くなられたのです。

竹若丸様は伊豆に住んでいました。
夫が六波羅探題の攻撃で私達同様、北条氏に襲われる危険に晒されました。

竹若丸様は山伏姿に身を変え京へ向かいましたが…途中駿河国で北条氏の刺客に殺されたのです。


夫はこれを聞き悲しんだそうです。

私も同じ気持ちでした。異母兄とはいえ千寿王の兄弟、唯一の兄を失ったと思ったからです。
この時はそう思いました。千寿王の兄は竹若丸様だけと…。

コアラガーン竹若丸くんは高氏と側室・加古基氏さんの娘さんの間に生まれたんだよね。
この時、登子さんはまだ知らなかったんだ、後年にある人物が登場することを…。


私は鎌倉へ入り千寿王と再会しました。

鎌倉攻めの足利の大将とはいえ千寿王はまだ四歳。

ほんの1ヶ月離れていただけでしたが、何年ぶりかの再会のように千寿王を抱き締めました。


鎌倉へ入り千寿王との再会は嬉しかったのですが…戦で荒れた鎌倉はひどい状況でした。

あの活気に満ちた鎌倉とは思えない惨状です。

私は「私達がよき良い鎌倉にしなければ」と決意しました。

夫は千寿王を支援する為、細川和氏、頼春、師氏を派遣してくれました。

コアラ和氏さん頼春さん師氏さんは兄弟で細川三兄弟って呼ばれたんだよ。細川氏は足利一族なんだ。

そして鎌倉の復旧が始まりました。


しかし、争いの種は絶えていなかったのです…。






つづく…
コアラ次回をお楽しみに~バイバイ