私、足利高氏の妻・登子です。
1333年、西国の討幕派を討つべく京に着いた夫の率いる足利軍は山陰道を進み、伯耆国の船上山を攻める手筈でした。
しかし、夫は軍を丹波国篠村に進めました。
夫はここに陣を張りました。すると、この陣に各地から兵が集まってきます。
既に各地に軍勢催促を発していたのでしょう。
やがて軍勢は2万を超える数になりました。
そして…5月7日
源氏の白旗が掲げられました。
夫は軍勢を前に声高々に叫びました。
「我が敵は京・六波羅、北条軍なるぞ!」
ついに足利氏は北条氏に反旗を翻したのです。
足利軍は京・六波羅を攻めました。
これに負けじと赤松円心様の軍と後醍醐天皇様から派兵された側近千種忠顕様の軍も六波羅を攻めました。
これに驚いたのは六波羅の幕府軍。
先に六波羅を攻めていた赤松円心様の軍をしのいでいましたが、足利軍には太刀打ちできず、ついに六波羅探題は陥落しました。
夫は六波羅探題を陥落させた後、京の治安を維持するために動き出したそうです。
「帝が京に戻られるまで京を平穏無事にせねばならぬ。」
夫に兄・守時の気持ちが伝わっているかのようでした。
その頃、鎌倉はどうなっていたのでしょう?
つづく…
