母は正室の登子で生まれた子は千寿王と名付けます。
これが後の足利義詮です。
1331年、京の後醍醐天皇は密かに討幕を企てていましたが、側近・吉田定房が幕府に密告し討幕計画は露見しました。
後醍醐天皇は、
「こうなったら兵を集めて戦うまでだ!」
と側近とともに御所を脱出、笠置山へ行き、挙兵します。
後醍醐天皇の挙兵で周辺の武士らに呼応しました。
その中に楠木正成もいました。
動乱の始まりの中、足利貞氏は病に倒れます。
貞氏はついに足利氏の家督を高氏に譲りました。
貞氏は、
「高氏よ、足利を頼むぞ、そして我が父・家時の遺言を果たしてくれ」。
そして…
動乱の足音を聞きながら、足利貞氏は亡くなりました。
貞氏は北条氏に潰されないよう気を遣いながらも足利氏の勢力を保つことにかけた生涯でした。
家時の遺言、それは「天下を取る」ことです。
当主となったばかりの高氏に幕府は京への派兵を命じます。
高氏は父・貞氏の喪中で出兵を辞退しましたが許されませんでした。
高氏は強引な幕府に対し反感を抱きます。
つづく…

