生き抜く足利 〜泰氏 転落〜 | 歴史を感じよう

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1251年、足利泰氏は突如として下総国埴生荘で出家します。

この出家は幕府に無断で行った自由出家でした。

自由出家は幕府内で固く禁じられている行為であり、足利氏は北条氏からお咎めを受けました。

(ちなみに新田氏の四代目当主・新田政義も1244年に自由出家を行い、幕府から所領の一部を没収、隠居を命ぜられ、さらに新田氏の惣領権を新田氏の分家・岩松氏、世良田氏に譲り渡すという事態になりました。)


泰氏の父・足利義氏の嘆願むなしく、泰氏は下総国埴生荘を没収され、足利荘平石で隠居となりました。

義氏は泰氏出家後も地位や所領を保っています。


なぜ泰氏は出家したのか?

はっきりとした理由は不明ですが、泰氏出家後に起きた了行法師謀反事件将軍・藤原頼嗣追放に関わっていたのではないでしょうか…

了行法師謀反事件は了行、矢作常氏、長久連らが謀反を企てたとして幕府に捕らえられた事件です。

了行は宝治合戦で滅んだ千葉氏の庶流、矢作常氏は千葉氏の残党、長久連は三浦氏の残党でした。

さらにこの事件には先に鎌倉から追放された前将軍であり頼嗣の父・藤原頼経が関わっていました。

事態を重くみた執権・北条時頼は藤原頼嗣を将軍職を廃して京へ送還します。

泰氏がこの事件にどう関わっていたかはわかりません。

もしかして泰氏の関わりを父・義氏が見つけ、出家させ足利氏の被害を最小限に食い止めたのでは…?


この後、泰氏は表舞台に出ることはありませんでした。

泰氏は1263年足利荘平石に智光寺を建立します。
智光寺は後に廃寺となりますが、智光寺の遺構として平石八幡宮が残っています。

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平石八幡宮


足利氏は泰氏の後、泰氏の三男・足利頼氏が継ぎました。






つづく…